福江電灯の展開とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 福江電灯の展開の意味・解説 

福江電灯の展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 17:46 UTC 版)

豊橋電気 (1921-1939)」の記事における「福江電灯の展開」の解説

渥美半島西部福江町では「福江電灯株式会社」という電力会社営業した。同社1912年9月11日福江町大字古田郷中(現・田原市古田町)に資本金1万5000円設立役員全員町内人物務めており、中でも海運業で財を成した上村杢左衛門起業中心人物であった逓信省資料によると福江電灯1912年5月30日付で電気事業の経営許可を得、田原町営電気より4日早い1913年4月27日開業した当初供給区域福江町内のみ。発電所出力20キロワット小型だが田原町営と同種のガス力発電所で、福江町大字中山字北渕(現・田原市中山町字北渕、本店1913年3月同地移転)に置かれた。設備ドイツ吸入ガス機関小田工場三相交流発電機周波数60ヘルツからなる1917年福江電灯東へ供給区域拡大し泉村への供給開始した続いて周囲赤羽根村伊良湖岬村から供給要望受けたが、出力20キロワットでは供給力不足するという問題があった。そこで同様の問題抱え渥美電気共同豊橋電気からの受電を行うこととなり、前述のように共同受電所を整備した福江電灯では受電開始に伴い赤羽根村経由伊良湖岬村へと配電線延長している。豊橋電気からの受電高は当初35キロワット動力用電力の供給希望出始めたため受電増加交渉したところ、豊橋電気側の発電所新設機に1920年3月70キロワットへの増加契約成立をみた。この受電増加結果、すでに休止中であった発電設備撤去された。1921年6月時点での電灯数は5546灯(休灯含む・需要家数3214戸)、電動機数は28台・計59馬力数える。 経営面では、1918年8月資本金を35000円から10万円へと引き上げた際に武田賢治取締役加わった武田は翌1919年福江電灯でも地元鈴木潤吉に代わって社長に就任している。その後1920年2月には、さらに20万円増資が行われた。

※この「福江電灯の展開」の解説は、「豊橋電気 (1921-1939)」の解説の一部です。
「福江電灯の展開」を含む「豊橋電気 (1921-1939)」の記事については、「豊橋電気 (1921-1939)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「福江電灯の展開」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「福江電灯の展開」の関連用語

福江電灯の展開のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



福江電灯の展開のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの豊橋電気 (1921-1939) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS