神話の中、歴史の中のクルクシェートラ
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「クルクシェートラ」の記事における「神話の中、歴史の中のクルクシェートラ」の解説
プラーナ文献ではクルクシェートラという名前がバラタ朝のクル族の王に由来することが語られている。また、ほぼ全てのプラーナ文献で「クルクシェートラ」は都市ではなく地方として言及されている。その範囲はおおよそハリヤーナー州の中部、西部からパンジャーブ州の南部にまたがる。アーラニヤカによればクルクシェートラはパンジャブ州シラインド(英語版)、トゥルギナ(Turghna)の南で、メーワートのカンダヴァの森(英語版)の北、 タール砂漠の東、パリンの西に位置する。 クル王がこの地を訪れたときにはウッタルヴェディと呼ばれており、ウッタルヴェディの時代には様々な帝国がかわるがわるこの地を支配していた。この地は時期によって、ウッタルヴェディ、ブラフマヴェディ、ダルマクシェートラ、クルクシェートラと呼び名が変わっている。クル王がこの地を訪れたとき、最初に首都を置いたのはアッサンド(英語版)であり、現在のクルクシェートラの街よりずいぶん南になる。その後インドラプラスタ(英語版)(現デリー)、ハスティナプール(英語版)と首都を移している。後にクルの一族を二分する『マハーバーラタ』の戦いがクルクシェートラの地で繰り広げられる。その戦いの中でクリシュナが『バガヴァッド・ギーター』をアルジュナに説いた。 『ヴァーマナ・プラーナ』ではクル王がこの地に身を落ち着けることになった経緯が語られている。この文献によればクル王はサラスヴァティー河畔に8つの美徳が深く根づいていることに気が付き、それを理由にこの地を本拠地に選んでいる。8つの美徳とは、厳格さ(タパス)、真理(サティヤ)、寛容さ(kshama)、やさしさ(ダヤ(英語版))、純潔(suchee)、慈悲(daan)、帰依(ヤジナ(英語版))、「ブラフマンに従っている様」(ブラーマチャールヤ(英語版))である。ヴィシュヌ神はクル王の慧眼に甚く感激し彼を祝福し、2つのことを約束をした。すなわちこの地をクルの名で知られる聖なる地とすること、そしてこの地で命を落としたものをすべて天国へ送ることの2つである。文献で語られるクルクシェートラはサラスヴァティー川とドリシャドヴァティ川(英語版)の間に存在していたとされるが、現在これらの川は存在していない。 アショーカ王の時代にはこの地に世界中から人を集めて学ばせていたことが考古学的に証明されている。その後ハルシャ・ヴァルダナの時代にクルクシェートラは最盛期を迎える。中国の僧、玄奘三蔵がテインザーの街を訪れたのがこの時期である。現在のテインザーの街はハルシャカティラ(Harsh ka Tila、ハルシャの丘)と呼ばれる小高くなった位置に拡がっており、この丘にはハルシャ・ヴァルダナ時代の遺跡が残る。
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