神社非宗教説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 06:17 UTC 版)
詳細は「神社非宗教論」を参照 明治維新当初、「宗教」(religion)という用語は、キリスト教を説明する専門用語として扱われていた。そして、キリスト教の文脈においての「宗教」は、「自然宗教」に対する「天啓宗教」の優越性、「多神教」に対する「一神教」の優越性を強調するニュアンスがあった。神道や仏教は前者、キリスト教は後者の特徴を持っていたことから、「宗教」という用語自体がキリスト教の優越性(の主張)を前提としていた。 仏教は、井上円了の活動によって、キリスト教側が設定した土俵の上に立って、キリスト教と対比する「宗教」としての立場を確立させた。対して神道系の人々は、一部がいわゆる教派神道として自己主張を試み、宗教の土俵に立とうとしたが、多数派は神社を宗教とは異なるものとして自己を主張した。 また、明治初期において、神霊の憑依やそれによって託宣を得る行為、性神信仰などが低俗なものや迷信として否定され、多くの民俗行事が禁止された。そのため、出雲神道系などの信仰が偏狭な解釈により大きく後退した。また、神社の祭神も、その土地で古来からまつられていた神々ではなく、『古事記』、『日本書紀』などの皇統譜につながる神々に変更されたものが多い。そのため、地域での伝承が途絶えた場合にはその神社の古来の祭神が不明になってしまっている場合がある。 その後、姉崎正治は従来の「宗教」の定義を疑い、キリスト教や仏教中心的で、出来上がった組織ばかりに注目するその態度を批判した。そして、宗教の本質を個人の内面の問題へと還元することによって宗教の幅が広がってゆき、神社に対する崇敬という感情も宗教の一環ではないかと疑われるようになり、神社非宗教説を揺さぶった。 戦前の上智大学では、神社は非宗教であるという理論で、クリスチャンでも神社参拝が可能であると説明するようになった。
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