神による敗北?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/03 09:28 UTC 版)
守備隊にとって肉の喪失は比較的小さな問題だった。砦は改良されていたが、野菜庭園には砲弾避けが施されていなかったので、新鮮な野菜を手に入れる手段が無くなり、現在ビタミン欠乏で生じることが分かっている壊血病への対処が難しくなっていた。兵士達は次第に深刻な兆候を示し始め、2月の初めには、病院に収容されている者の数が1日に50人を超えた。砦の複雑な守りを監視するためには415名の兵士が必要だった。2月3日までにどんな任務でも遂行できる兵士はやっと660名となり、それ故に1日の衛兵2シフトを賄うために必要な830名に対して、170名が不足することになった。660名の動ける兵士の中で560名は壊血病の兆候があり、数名の者が哨兵任務中に死亡し、医務担当士官にもその体調を報告しない道を選んでいた。 マリーは医療チームから一連の急報を受けた後の1782年2月4日、クリヨン公爵に10か条の降伏条件を付けた文書を送っていた。これは守備隊がイギリスに戻る輸送船をあてがわれ、その費用はイギリス政府が払うべきものとする原則に基づいていた。クリヨンは守備隊が戦争捕虜と宣せされることに固執する指示を受けていたのでこれを拒絶したが、妥協が可能であるべきことを強く示唆した。2月5日、両軍は最終合意に達し、翌6日には調印を行い、兵士達は輸送船を待つ間の一時的捕虜状態に置かれることが認められ、「マリーとその兵士が守備中に示した勇敢さに対し忠誠と勇敢さに対する考慮が払われ、武器を肩に、太鼓を鳴らし、火縄を燃やし、軍旗を掲げて敵軍の間を行進した後に武器と軍旗を降ろす」ことまでが取り決められた。スペイン軍とフランス軍の将兵がセントフィリップ砦からジョージタウンまでの道路の両側に並ぶ中を、マリーの兵士950名程が粛々と行進し、ジョージタウンで守備隊の兵士は「神のみに」降伏するために武器を置いた。マリーは行進中もじっと前を見据えていたが、カリヨンとその副官のファルケンハイン男爵から、フランス兵とスペイン兵の多くがその目撃したものに涙を流したことを聞いた。クリヨンとその部下達は幾つかの点で合意点以上のところまで行っており、マリーは「我々が快復するために貢献するようなあらゆること」を提供してくれたと述べた。
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