石斧あり幾夕焼の柄の細り
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評 言 |
1965年に大阪で開催された日本万国博の会場跡に、日本民族学博物館がある。その民族学博物館を『一粒』の仲間と吟行に出掛けた時、堀葦男先生が作られた俳句である。 先生との吟旅は、お互いに忙しい身(先生は棉花会館専務、私たちは電通)ということもあり、一泊二日が多かった。浜名湖、伊勢、能登、倉敷、備中高梁、小豆島、紀伊勝浦、越前大野、近江八幡、伊賀上野、松阪、松江、京都・奈良近辺の社寺等々枚挙に暇がない。それが先生の俳句を「かたちで書く」という基本姿勢を、私たちに伝える手段だったと今にして思われる。「俳句は机上で、考えるものではない。歩いて授かるものだ。」というのが先生の口癖だった。 先生の俳句談義は俳文学に留まらない。A.HuxleyやT.S.Eliotに始まる英国詩人たちに纏わる詩学の講義、歌舞伎の黙阿弥の台詞の詠唱など、談論風発まことに止まるところを知らぬ吟行句会となることが常であった。殊に漢文学の造詣の深さに至っては計り知れぬものをお持ちであった。その文学に対する挑戦の姿勢がその作品に激しく刻まれているというのが、先生を慕って已まない私たちの率直な感想である。 ◇若年期の句(『火づくり』中心) 沼いちめん木片かわき拡がる慰藉 ぶつかる黒を押し分け押し来るあらゆる黒 沖へ急ぐ花束はたらく岸を残し ◇熟年期の句(『機械』『残山剰水』『山姿水情』『過客』『朝空』より) 落花いま紺青の空ゆく途中 笄の照るや無月の海の底 花ひと木鎮まり蝶の白を湧かす 枇杷照るや天は地よりも乱れつつ 今生を柿のはらから照り合える 蟹生まる諸樹うなづく瀬のほとり 壮年期の造形的な作品と熟年期の完成された作品との相違は誰しも不思議とさえ思われるかも知れない。私は先生の熟年期の作品が大好きである。共通の場がそこには秘められた気がするからかも知れない。 |
評 者 |
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備 考 |
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