矢作水力時代とは? わかりやすく解説

矢作水力時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 15:49 UTC 版)

久留島通彦」の記事における「矢作水力時代」の解説

1922年2月今度矢作水力株式会社入社し支配人となった同社福澤桃介寒川恒貞らが水力発電研究のため組織した「大正企業組合」を母体とする電力会社で、社名にある矢作川水系開発目的として1919年大正8年3月設立されていた。久留島が入社した当時社長井上角五郎副社長福澤駒吉専務杉山栄相談役福澤桃介という経営陣であった3年後1924年大正13年4月27日久留島は矢作水力でも取締役選ばれた(取締役支配人)。 矢作水力矢作川開発手掛けたのち1931年昭和6年)に天竜川電力1933年昭和8年)には白山水力相次いで合併し矢作川水系のみならず天竜川水系北陸九頭竜川水系手取川水系にも水力発電所を持つ大型電力会社へと発展していく。会社拡大の中、1933年10月26日付で久留島は矢作水力常務取締役選任された。常務就任時の経営陣は、社長福澤駒吉副社長杉山栄成瀬正忠、常務後藤一蔵小山一(技師長・久留島と同時に常務昇格)という体制で。3名の常務のうち支配人兼任久留島が筆頭常務の格であった7年後1940年昭和15年10月31日会長制の実施福澤会長成瀬社長にそれぞれ繰り上がり久留島も常務から副社長昇格した矢作水力以外では、1928年12月東海曹達姉妹会社として新たに昭和曹達設立されるとその取締役就任社長福澤駒吉)。また1933年5月矢作水力余剰電力引き受けてアンモニア合成および硫安硝酸製造を行う矢作工業第一次)が設立される同社でも取締役就いた太平洋戦争開戦後1942年昭和17年4月1日矢作水力電気事業対す国家管理強化によって電気事業設備国策会社へと出資したこの際矢作水力では1940年より第一次矢作工業吸収したことで兼営していたアンモニア工業部門再独立させた上で自らは解散する決定3月31日付で矢作工業第二次)を設立した。この第二次矢作工業には矢作水力役員多く移籍しており、社長に福澤駒吉副社長には成瀬正忠が就任したが、久留島は取締役には選ばれたものの副社長常務には就かなかった。

※この「矢作水力時代」の解説は、「久留島通彦」の解説の一部です。
「矢作水力時代」を含む「久留島通彦」の記事については、「久留島通彦」の概要を参照ください。

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