矢作索道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:36 UTC 版)
矢作川水系にある発電所の建設資材は中央本線大井駅(現恵那駅)より岩村町を経由し輸送された。大井駅より岩村町までは岩村電気軌道を合併して直営化した電気軌道路線(岩村電車)を利用できたが、岩村町から恵那郡上村までは木ノ実峠を挟んでおり資材輸送の隘路となってきた。この区間の輸送を改善すべく、矢作水力は1919年(大正8年)11月、岩村町を起点に峠を越えて上村に至る架空索道を完成させた。この段階では直営の索道であったが資材輸送のみならず一般用にも開放するため独立した会社とすることとなり、矢作水力の出資の下、資本金25万円で矢作索道株式会社が同年12月26日に設立され、索道は同社へ譲渡された。 この索道は資材輸送のほか、上村周辺の薪・木炭・木材などの搬出や、岩村方面からの生活物資の搬入などにも利用され、人を乗せることもあったという。1927年に島発電所が建設されて川による木材の流送が不可能となると、索道がかわりに利用されるようになった。 この索道は1931年(昭和6年)に廃止された。
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