真作説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 14:45 UTC 版)
1963年(昭和38年)、多賀城跡の発掘調査が行われ、8世紀半ばに大規模な改修が行われていたことが新たに判明した。これは碑文後半の多賀城改修を示した内容に一致する。この改修に関する文献はそれまで発見されておらず、多賀城碑はこの改修を伝えている唯一の文献として再び注目された。そして碑が偽作であるならば改修に関して記載できないはずと考えられた。これをきっかけに多賀城碑偽作説の見直しが始まった。 碑文の書体については、筆跡学的な検討により当時の貴人、高僧などの高い教養をもった人物によって書かれたものと判明した。彫り方についても再度検討され、「箱彫」ではなく「薬研彫」であることがわかり、近世以降の技法で彫られたものではなかった。また碑文の文字の配置には奈良時代の天平尺(2尺4寸)が用いられていることが判明した。 碑文の内容についても検討された。東人の官位は陸奥国在任中に経た、按察使兼鎮守将軍、従四位上勲四等であると解釈すれば矛盾ないとされた。また、朝獦の官位については碑の「多賀城修築碑」という性格を考慮すると、朝獦の功績をたたえる意味で東人と同じ官位を記したのではないかと推測されている。間違った里程に関しても、そもそも偽作であれば誤りの距離をあえて記述する必要が無い筈とされた。 さらに1997年(平成9年)の覆堂の解体修理に際して、碑の周囲の発掘調査を行った結果、古代の据え付け跡が確認された。この事により碑は建碑当初からこの場所にあった可能性が強まり、碑の真作説を後押しした。
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