皇帝即位と梁犢の乱とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 皇帝即位と梁犢の乱の意味・解説 

皇帝即位と梁犢の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 07:22 UTC 版)

石虎」の記事における「皇帝即位と梁犢の乱」の解説

349年1月石虎は病が一時的に快方に向かうと、皇帝位に即いて領内大赦下したまた、太寧改元し、諸子をみな王に進封し、百官一等位した尚書張良右僕射任じた。 だが、東宮高力石宣は力の強い士を選んで東宮衛士として選抜し、これを高力号した1万余り石宣犯した罪により大赦対象から外され涼州辺境流される事となった。一行雍城到達すると、雍州刺史張茂に彼らを送還するよう勅命下ったが、張茂は彼らの馬を奪い取ると、鹿車(手押し一輪車)を与えて歩いて牽かせ、戍所(辺境拠点)へ食糧を送るよう命じた。これにより衛士はみな怨み抱いたので、高力梁犢はこれを利用して乱を起こし東へ帰ろう考え胡人の頡独鹿微に命じてその旨衛士告げさせた。この計画聞くとみな跳び上がりながら手を叩いて大声叫び喜んで梁犢従った梁犢は自らを東晋征東大将軍であると自称すると、衛士率いて下弁侵攻し、これを攻め落とした。そして、張茂迫って大都督・大司馬担ぎ上げると、軺車に乗せた安西将軍劉寧はこの反乱を知ると、安定から出撃して迎え撃ったが、梁犢返り討ちにした。 高力はみな力が強く射術長けており、1人10人以上に匹敵した武器や防具持っていなかったが、民から斧を奪い取ると、1丈にもなる柄を装着し戦神如く戦った。向かうところ全ての敵は総崩れとなり、守備兵もみな寝返って梁犢従った梁犢は郡県を攻め落とし長吏二千石(郡太守)を殺しながら東へ進軍続け長安到達する頃にはその勢力10万人にも及んだ長安鎮守する楽平石苞精鋭全て投入してこれを迎え撃したが、梁犢一戦でこれを撃破した遂に長安突破すると、潼関から東へ出て洛陽目掛けて進撃した石虎司空李農大都督・行大将軍事に任じ、統衛将軍張賀度征西将軍張良・征将軍石閔を始め歩騎10万与えて迎撃命じた李農新安進んで梁犢撃ったが、梁犢はこれに大勝した。さらに洛陽へ侵攻すると、再び李農破り、成皋まで退却させた。さらに東へ進むと、遂に滎陽陳留といった諸郡を侵犯するようになった石虎はこれを大い恐れ早馬出して燕王石斌大都督・中外諸軍事に任じ、統冠将軍姚弋仲車騎将軍蒲洪・征将軍石と共に討伐命じた石斌らは出撃すると、滎陽において梁犢撃破した梁犢首級挙げ、その余党尽く滅ぼすと、軍を帰還させた。 東晋将軍王龕が沛郡侵攻し、城は陥落したその後始平出身の馬勗もまた兵を集め、洛氏の谷において将軍自称した石苞はこれの討伐に向かうと、尽く攻め滅ぼして三千家余りを誅した。

※この「皇帝即位と梁犢の乱」の解説は、「石虎」の解説の一部です。
「皇帝即位と梁犢の乱」を含む「石虎」の記事については、「石虎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「皇帝即位と梁犢の乱」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「皇帝即位と梁犢の乱」の関連用語

1
4% |||||

皇帝即位と梁犢の乱のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



皇帝即位と梁犢の乱のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの石虎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS