百回本:小説としての確立
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「水滸伝の成立史」の記事における「百回本:小説としての確立」の解説
上記の構成表を一見して分かるのは、百回本と百二十回本の違いが、第V部分の田虎・王慶征伐の有無のみということである。これは百回本の好評を受けて、追随した書店が他店と差をつけるために物語を増補した版を発売したためである(後述)。現存する最古のテキストである容与堂本「李卓吾先生批評忠義水滸伝」や、書目に言及された古い版本が百回本であることから、元々の形が百回本であることは間違いない。 百回本の完全な形で残る現存最古のテキストは、冒頭に述べたごとく、杭州の書肆容与堂が万暦38年(1610年)に刊行した『李卓吾先生批評忠義水滸伝』(容与堂本)である。ただしこれ以前に、明代の官僚で出版業も手がけた郭勛(武定侯。? - 1542年)が刊行した書籍の中に、嘉靖(1522年 - 1566年)初年頃の『忠義水滸伝』と呼ばれる20巻100回の本があったことが分かっており、「郭武定本」と呼ばれる。また、沈徳府(1578年 - 1642年)の『万暦野獲編』には「最近新安で刊行された『水滸伝』の良質本は、郭家に伝わる古本(郭武定本)に汪太函(汪道昆)が天都外臣という名で序文をつけたものである」と記されており、郭武定本を復刻したこちらのテキストは「天都外臣序本」と呼ばれる。郭武定本は現存していないが、上記のごとく高儒『百川書志』(1540年)に「忠義水滸伝一百巻」との記述があることからも、郭武定本が成立した嘉靖前期(1520-30年代)を小説『水滸伝』(百回本)の成立時期とするのが通説となっている。 なお中華人民共和国時代に入った1954年に、北京の人民文学出版社から鄭振鐸が序文をつけた天都外臣本が排印本(活字本)で『水滸全伝』として突如出版された。これは万暦17年(1589年)に郭武定本を忠実に復刻したという『忠義水滸伝』100巻百回本の一部(残巻)を含むとされているが、なぜか百二十回本で刊行されている。この『水滸全伝』の元となった古本が本当に天都外臣本であるのかには疑問が残る。校訂に関わった呉暁鈴が1983年に『光明日報』に発表した「天都外臣序本忠義水滸伝を語る」では、切り取られてほぼ判別不能な最終行を含む天都外臣序文の写真を発表し、この判別不能な最終行に書かれた文を「萬暦己丑孟冬天都外臣撰」とかなり強引に推測したことを明らかにした。高島俊男はこれらの経緯から『水滸全伝』の元になった古本は天都外臣本ではなく容与堂本系統の本であり、「石渠閣補刊本」とでも呼ぶべきであると結論づけている。 以上のような経緯から、もし今後郭武定本もしくは天都外臣序本の完全な版本が発見されれば、『水滸伝』成立研究の上で貴重な史料となることは疑いない。
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