登録文化財への登録と史跡指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)
「北大東島のリン鉱山」の記事における「登録文化財への登録と史跡指定」の解説
2002年の沖縄県教育庁による「沖縄県近代和風建築総合調査」が北大東島のリン鉱山遺跡初の本格的調査であった。2004年にはやはり県教育庁の手によって「沖縄県近代化遺産(建造物等)総合調査」が実施され、北大東島のリン鉱山関連の建造物について調査が行われた。 2005年には北大東村の依頼に基づき、琉球大学の福島駿介教授が北大東島の文化財調査を行った。この調査結果に基づき、2005年12月に旧北大東島出張所が登録文化財として登録され、翌2006年には旧燐鉱石貯蔵庫、旧燐鉱石積荷桟橋、2007年に旧社員浴場跡、旧下坂大衆浴場、旧魚市場、そして旧社員クラブ(現民宿)が登録された。 そして2007年度には北大東島のリン鉱石採掘関連遺産は経済産業省から近代化産業遺産の認定を受けた。村は2013年度からリン鉱山関連の文化財による文化的景観を保存、形成していくことを目的とする景観計画、景観条例を策定するための文化的景観調査を実施し、2015年4月から北大東村景観条例及び景観計画が施行された。2015年からは国費による補助を受けて「北大東村文化的景観保存調査委員会」が設置されて調査を継続し、2016年度からは「北大東村文化的景観保存計画策定員会」となって調査、検討を続けた。 2016年には「北大東島燐鉱山遺跡調査報告書」がまとめられた。これらの成果に基づいて文化庁は2017年2月に北大東島のリン鉱石採掘遺構を「北大東島燐鉱山遺跡」として史跡に指定した。日本国内では北大東島とともに沖大東島でもリン鉱石が盛んに採掘されていたが、戦後は放棄されて無人島となり、後に米軍の沖大東島射爆撃場とされ、現状ではリン鉱山の遺構は確認できず、今後も発掘、保全が行われる見込みは少ない。その他、能登半島、南鳥島、波照間島などでもリン鉱石が採掘されたものの、いずれも小規模な事業に止まり、まとまった形での遺構は残されていない。史跡指定に当たり、北大東島のリン鉱山遺跡はリン鉱石の採掘から加工、運搬、貯蔵、積み出しに関する大規模な遺構が残り、日本で唯一現存するものとして貴重である上に、日本の近代農業を支えたリン鉱石採掘事業の歴史を知る上でも重要であると、その歴史的価値が評価された。
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