男子の服飾とは? わかりやすく解説

男子の服飾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 09:54 UTC 版)

西欧の服飾 (17世紀)」の記事における「男子の服飾」の解説

1620年代までのスペインファッションの様子は、西欧の服飾 (16世紀)参照特徴としては服にきつく詰め込まれ詰め物固い飾り襟によって威儀を正す、大変格式ばって動きくいものであった1630年代頃には世俗世界ではほぼ完全にスペインスタイルが駆逐され、騎士達の間でより柔軟活動的なファッション主流となる。タマネギのように膨れていたオードショース詰め物取れレース付いたリボン飾りボタン膝下で裾を留めた上から「カノン」というレースの膝留め飾った生地切れ込み入れて飾るプールポアンは引き続き着られたが、腹に詰められていた詰め物廃れて自然な体の線を描き袖丈着丈徐々に短くなって、服の内側結んでいた「エギュイエット」(オードショースを吊るリボン)は鳩目通して外側結ばれてリボン飾り役割果たした。そして、襟は柔らかく垂れさがった通称ルイ13世襟」を付けコラーという袖のない革の上着、爪先尖った膝丈のブーツ(後に上部大きく折り返した腿丈のブーツ)、宝石飾った剣、マントルというケープ型の外套片方の肩に引っかけ、「レスポンダン(感応)」という鍔の大きく広がったフェルト帽をかぶった。この時期からのファッションには豪奢な毛皮金糸銀糸重厚な刺繍よりも、「ギャラント」という色鮮やかなリボン束が好まれあちこち飾られるうになる1661年長くフランス政界支配した宰相マザラン死により、17世紀代表するファッションリーダーであるルイ14世親政が始まる。この頃17世紀初頭比べて袖丈はおよそ三分の二着丈半分程度とプールポアンは極端に短くなっていた。防寒のために、ドロワーズというゆったりしたパンツ、カミソルというシュミーズの下に着るシュミーズや、兵士外套から発展したジュストコールという上着部屋着としてヴェストと言う丈の長い長袖中着着られるようになり、プールポアンは衰退していく。また、ルイ14世は脚が美しいことを常々自慢にしており、ハイヒールを履いて脚の長さ強調した。髪が薄かったルイ13世着用し始めたかつらは、小柄だったルイ14世によって巻き毛を背や胸に長く垂らし頭を高く盛り上げた「アロンジュ」という大仰なものへと変化している。レスポンダン帽はかつらの邪魔になる広いつばを折り返すようになり、「トリコルヌ」(三角帽)へと変化した。こうして、1680年代頃にフランス宮廷衣装代表するジュストコール・ヴェスト・キュロットの一揃いとハイヒール・トリコルヌという、18世紀革命期まで多少変遷経て受け継がれる華やかなファッション定着した

※この「男子の服飾」の解説は、「西欧の服飾 (17世紀)」の解説の一部です。
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