甲斐武田氏と常陸佐竹氏とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 甲斐武田氏と常陸佐竹氏の意味・解説 

甲斐武田氏と常陸佐竹氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 19:04 UTC 版)

甲佐同盟」の記事における「甲斐武田氏と常陸佐竹氏」の解説

甲斐武田氏常陸佐竹氏はともに源義光新羅三郎義光)を同一先祖位置づける清和源氏同族で、義光は後三年の役において長兄源義家(八幡太郎義家)を助け陸奥国南東から常陸国北部にまで勢力拡大し源義業平安時代常陸国佐竹郷(茨城県常陸太田市)を本領とし、子孫戦国期常陸における地域勢力として台頭した。 義光の嫡子源義業の子孫からは佐竹氏常陸源氏一族輩出した佐竹氏常陸北部勢力をもつ中小規模戦国大名で、関東東北地方においては鎌倉公方古河公方関東管領扇谷上杉家山内上杉家などの公権力のほか、相模国後北条氏除いて広域支配する統一権力生まれず、鎌倉公方や両上杉氏対立分裂連動し佐竹氏中小地域勢力分立する時代続いたこうした中で後北条氏伊豆から相模関東へと領国拡大行い山内上杉家関東管領職を継承した越後上杉氏佐竹氏関東諸族との抗争展開された。 一方、義業の弟源義清(武田冠者)清光親子常陸国武田郷茨城県ひたちなか市武田)を本領としていたが平安後期甲斐へ移住し子孫甲府盆地各地進出し武田氏はじめとする甲斐源氏の諸族を輩出した武田氏甲斐源氏棟梁として台頭し衰勢分裂経て戦国期には甲斐守護武田氏甲斐統一達成し信虎・晴信(信玄期に戦国大名化する。武田氏は晴信(信玄)から勝頼期にかけて甲斐信濃西上野、駿河一国上の規模領国拡大し越後上杉氏相模後北条氏、さらに将軍足利義昭織田信長中央権力外交関係展開する佐竹氏佐竹義重の頃に領国拡大行っているが、最終的に武田佐竹氏間の領国接すことはな外交関係限定的であった考えられている。

※この「甲斐武田氏と常陸佐竹氏」の解説は、「甲佐同盟」の解説の一部です。
「甲斐武田氏と常陸佐竹氏」を含む「甲佐同盟」の記事については、「甲佐同盟」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「甲斐武田氏と常陸佐竹氏」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「甲斐武田氏と常陸佐竹氏」の関連用語

1
18% |||||

甲斐武田氏と常陸佐竹氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



甲斐武田氏と常陸佐竹氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの甲佐同盟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS