甲斐武田家譜代家老の馬場氏とは? わかりやすく解説

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甲斐武田家譜代家老の馬場氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 23:54 UTC 版)

馬場氏」の記事における「甲斐武田家譜代家老の馬場氏」の解説

馬場(ばば)氏(摂津源氏流)は、源氏武士団形成した源満仲嫡子源頼光にはじまる摂津源氏源仲政馬場仲政源頼政の父)を祖とする。『馬場家譜』によれば馬場氏源頼光摂津源氏後裔で、美濃源氏土岐氏の祖となる源光信土岐光信)の孫で美濃国土岐郡土着した土岐光衡一族甲斐国巨摩郡教来石(北杜市白州町))に移り教来石氏を名乗る。教来石駿河守信明は甲斐守護武田信重娘婿となり馬場氏名跡を継ぐ。この馬場氏とは木曾家村三男馬場常陸介家景を祖とする木曾氏支流である。 武田信玄・勝頼期の譜代家臣である馬場信春信房)は、もとは甲斐北西部在郷武士団である武川衆属する教来石氏の出自教来石景政と名のっていたという。『甲陽軍鑑によれば武田家臣で教来石信明(馬場信明)の4代後の馬場虎貞武田信虎信玄の父)を諫言かんげん)して手討ちされたため、天文15年1546年)に信玄の命により景政同族馬場氏名跡継ぎ馬美濃守信春名乗る信春信玄・勝頼期の重臣として活躍し天正3年1575年5月21日長篠の戦いにおいて戦死する信春の子馬場民部少輔昌房(美濃守)は長篠合戦後に家督継承し牧之島城長野県長野市信州新町)の城代となる。『信長公記によれば天正10年1582年2月織田徳川連合軍甲斐征伐に際して信濃深志城長野県松本市)を守備し織田長益に城を明け渡し退去しており、その後戦死もしくは刑死したもの考えられている。 馬場氏の子孫には、馬場民部少輔の3男の系列になる甲斐国稲門朝気邑(現在の山梨県甲府市朝気町)の武田浪人郷士馬場彦左衛門家系江戸幕臣和泉国淡輪村郷士越後国松岡村郷士下野国上三川村郷士などがある。主家武田氏との縁組も何代かにわたり行われたため、武田氏一族として記される場合もある。上三川町馬場氏江戸期には累代名主職務めており、一族家紋武田菱である。また、民部少輔の娘は青木信時の子・信安の室となっている。

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