甲斐武田氏との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 23:44 UTC 版)
①遠山氏の菩提寺の大圓寺に、武田氏の菩提寺の恵林寺に居た明叔慶浚や希菴玄密を招き、武田氏と誼を通じて傘下に入ったという説 ②天文23年(1554年)、信濃国を領国化しようとしていた武田信玄が南信濃と美濃の国境である伊那郡を制圧すると、岩村遠山氏と苗木遠山氏の側から臣従したという説 ③天文24年(1555年)に三河から今川氏の軍勢に明知城を攻められた(?)ため、景前が信玄に助けを求めたのを機に、遠山氏は武田氏の傘下となったという説 以後、遠山一族と郎党は武田氏に臣従する者と、引き続き斎藤氏や尾張の織田氏と連携する者に分かれた。 弘治2年(1557年)7月13日、景前が亡くなり、嫡男であった遠山景任が岩村遠山氏を継ぎ、次男の遠山直廉は遠山景徳の養子となって苗木遠山氏を継いだ。
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