生い立ちの設定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 03:19 UTC 版)
映画第1作目によると、ランボーのフルネームはジョン・ジェームズ・ランボー、生まれは1947年7月6日アリゾナ州、ボーウィである。ナヴァホ族の父親の名は映画最終作によればR・ランボーであり、イタリア系アメリカ人の母親はマリー・ドラゴである。だが『ランボー/怒りの脱出』のマーシャル・マードックによればランボーはアメリカ州の先住民族/ドイツ系であるという。またランボーという名字はノルウェーに実際に存在する。ランボーは1964年8月6日、17歳でアメリカ陸軍に入隊した。兵役は1965年にレンジフォード高校を卒業した後の、1966年1月から始まった。1966年9月には南ベトナムに配属されるが1967年にはアメリカ、ノースカロライナ州、フォート・ブラッグに戻って特殊部隊(グリーン・ベレー)の訓練を受けた。1969年後半、彼はベトナムに再配属された。1971年11月には中国=ベトナム国境付近で北ベトナム軍の捕虜となりたびたび拷問を受けた。ランボーは1972年5月に脱出したが、再配備された。また、彼は軍隊時代にヘリコプターの操縦を教わっている。そして1974年9月17日に彼は除隊した。 アメリカへの帰国後、国民の多くがベトナム帰還兵を憎んでいることを知った。彼は他の帰還兵たちと共に反戦的な“ヒッピー”から罵られた。帰還兵は「赤ん坊殺し」と言われ、ゴミを投げられ社会から見放された。ベトナムと帰還後の国民の反応によって心的外傷後ストレス障害を引き起こした。そしてランボーは社会を憎むようになった。『ランボー』の物語はここから始まる。
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