生い立ちと音楽活動の開始
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「パウル・コハンスキ」の記事における「生い立ちと音楽活動の開始」の解説
生地はロシア帝国のオデッサ、またはオリョールとされる。父親にヴァイオリンの手解きを受け、その後7歳のときオデッサで、レオポルト・アウアー門下のエミル・ムウィナルスキに学ぶ。1898年にムウィナルスキはワルシャワに行き、1901年にワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団を創設すると、14歳のコハンスキをコンサートマスターに任命した。またムウィナルスキは、コハンスキ少年を我が子同然に扱い、責任を持って養育し、世界一流の演奏家に育て上げた。 1903年、コハンスキは、ムウィナルスキの奔走でワルシャワの上流階級から援助を受け、王立ブリュッセル音楽院に留学してセザール・トムソンに師事することができた。4年後には、最優秀賞と首席に輝いた。 旅するヴィルトゥオーゾとして活動に取り掛かり、ユリウシュ・ヴェルトヘイム(英語版)の招きでアルトゥール・ルービンシュタインと出逢ったのがこの頃である。二人は音楽面では意気投合したが、若々しい情熱あふれる友情が本当の意味で始まるのは1907年になってからだった。二人は同年、ワルシャワ・フィルハーモニー協会のために、チェリストのJ. サベリーク(Sabelik)と共演して、ベートーヴェンの《クロイツェル・ソナタ》とチャイコフスキーの《ピアノ三重奏曲》を演奏した。1908年には、パトロンの一人であったユーゼフ・ヤロシィニスキとともに、ベルリンやパリ、ロンドン、カールスバートといったヨーロッパの主要な都市で凱旋公演を行ない、1908年から1909年までルービンシュタインと、チェリストになった兄エリ(ドイツ語版)と共演して、ワルシャワ・フィルハーモニー協会のために《クロイツェル》やフランクの《ヴァイオリンソナタ》、ブラームスのピアノ三重奏曲を演奏した。
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