現存の第4期ハートフォード伯と第2期ハートフォード侯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 10:31 UTC 版)
「ハートフォード侯爵」の記事における「現存の第4期ハートフォード伯と第2期ハートフォード侯」の解説
4代準男爵エドワード・シーモア(英語版)(8代サマセット公を継承する6代準男爵の祖父)が後妻レティシア・ポパムとの間に儲けた次男フランシス・シーモア(1679–1732)は、1699年に母の叔母の嫁ぎ先であるコンウェイ子爵(コンウェイ伯爵)コンウェイ家(英語版)の家名を加えて「シーモア=コンウェイ(Seymour-Conway)」と改名した。そして庶民院議員を務めた後の1703年3月17日にラグリーのコンウェイ男爵(イングランド貴族)、1712年10月16日にコンウェイ=キルルター男爵(アイルランド貴族)に叙せられた。 その息子である第2代コンウェイ男爵フランシス・シーモア=コンウェイ(1718–1794)は、駐フランス大使やアイルランド総督などを務め、1750年8月3日にハートフォード伯爵とビーチャム子爵、1793年7月5日にハートフォード侯爵とヤーマス伯爵(英語版)に叙せられた(すべてグレートブリテン貴族)。これによりハートフォード侯爵家が生まれ、以降彼の男系男子によって継承されていく。 初代侯の息子である2代侯フランシス・シーモア=コンウェイ(英語版)(1743–1822)は、1807年に勅許を得て後妻の家名を加えて「イングラム=シーモア=コンウェイ(Ingram-Seymour-Conway)」に改姓している。しかしその息子である3代侯フランシス・シーモア=コンウェイ(英語版)(1777–1842)は改姓していない。 3代候の息子である4代侯リチャード・シーモア=コンウェイ(英語版)(1800–1870)には子供が非嫡出子リチャード・ウォレス(英語版)しかなく、爵位を継承させられなかった(リチャード・ウォレスは新規で準男爵に叙せられている)。しかし4代侯は集めた美術品の多くをこの非嫡出子に遺しており、これらはウォレス・コレクションと呼ばれた。 一方ハートフォード侯爵の爵位は初代侯にさかのぼっての分流であり、コンウェイを家名にしていないフランシス・シーモア(5代侯)(英語版)(1812–1884)に継承された。 その孫である7代ハートフォード侯ジョージ・シーモア(英語版)(1871–1940)はエドワード・シーモア(英語版)(1860-1931)が1923年に第16代サマセット公爵位を継承した際に、エドワードの曽祖父とその妻は正規の結婚関係ではなく、したがってエドワードは庶子の子孫にあたるのでサマセット公爵位の継承権がなく、公爵位を継ぐべきは自分であると主張した。この論争と調査は長く続き、貴族院にも持ち込まれたが、2年後にハートフォード侯の主張は退けられ、エドワードの16代サマセット公爵位継承が確定している。 2016年現在の当主はその孫である9代ハートフォード侯ヘンリー・シーモア(英語版)(1958-)である。 本邸はウォリックシャー・オルスター(英語版)のラグリー・ホール(英語版)。家訓は「信頼と愛によって(Fide et Amore)」
※この「現存の第4期ハートフォード伯と第2期ハートフォード侯」の解説は、「ハートフォード侯爵」の解説の一部です。
「現存の第4期ハートフォード伯と第2期ハートフォード侯」を含む「ハートフォード侯爵」の記事については、「ハートフォード侯爵」の概要を参照ください。
- 現存の第4期ハートフォード伯と第2期ハートフォード侯のページへのリンク