玉電代替からの出発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 01:25 UTC 版)
「東急バス大橋営業所」の記事における「玉電代替からの出発」の解説
1969年(昭和44年)5月11日の玉川線(玉電)廃止に先立ち、廃止代替系統を運行するために開設された営業所である。 組織としては既存の不動前営業所を移転する形を取り、玉電廃止まであと4日と迫っていた5月7日、旧不動前営業所の活動終了と同時に、玉電大橋車庫の土地を使って開設された。 詳細は「東急バス不動前営業所#大橋営業所の基礎に」および「東急玉川線#玉電廃止後のバス交通」を参照 品川線など不動前が所管していた路線が開設と同時に移管された後、玉電代替の用賀線、新道線、松陰線などが加わった。東急では玉電代替系統用として110両もの新車を大橋に集中配備し、不動前からの移籍車も含めて156両の車両を擁する大規模な営業所となった。玉電代替には長尺車(社内呼称「ラッシュバス」)が優先的に使われ、渋谷と三軒茶屋の間はこの区間のみを折り返し運転していた渋01だけで毎日200便以上が運行されるというバス全盛時代だった。しかし、大橋だけでは足りず、渋04や渋12急行など一部が高津営業所所管となった他、瀬田営業所のグランド線、駒沢営業所の等々力線、弦巻営業所の成城線など玉川通り・世田谷通りを走る他営業所や小田急バス、都営バスといった他社の路線も玉電代替の役割を担った。 1977年(昭和52年)4月7日の新玉川線(現、田園都市線)開業に伴い、玉電代替系統は大幅に縮小された。玉電や新玉川線の線路に完全に沿っていた用賀線・池尻線が廃止になり、鉄道と一部並行しないという理由で存続した新道線も減便、急行が廃止された(後述)。高津が所管していた溝の口行きの渋04系統が旧道経由便として唯一存続するが、二子玉川までに短縮された後結局廃止になった。一方で、新玉川線の開業後も世田谷線へは三軒茶屋での乗り換えが必要となるため、渋谷から世田谷線沿線方面への直通バスが絶対不可欠という理由で松陰線と経堂線が存続された。 それ以降も系統の再編・移管が相次ぐ。新道線は1984年(昭和59年)の駒沢営業所閉鎖に合わせて行われたダイヤ改正の際、高津営業所に移管され、経堂線も松陰線との重複を理由に廃止、玉電代替の面影を残すのは松陰線のみとなった。
※この「玉電代替からの出発」の解説は、「東急バス大橋営業所」の解説の一部です。
「玉電代替からの出発」を含む「東急バス大橋営業所」の記事については、「東急バス大橋営業所」の概要を参照ください。
- 玉電代替からの出発のページへのリンク