無政府主義への関心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 21:17 UTC 版)
「レオン・チョルゴッシュ」の記事における「無政府主義への関心」の解説
1898年、多くは暴動に終わる一連のストライキを目撃した後、継母ひいては家族の奉じるローマ・カトリック教会の信条と度々衝突していた実家に再び戻る。世捨て人となったレオンは社会主義、無政府主義系の新聞を読み漁る日々を過ごす。 その後、政治活動家のエマ・ゴールドマンの演説に感銘を受け、1901年にクリーヴランドで行われた彼女の講義に初めて参加。講義から数日経過したある日、シカゴにある彼女の自宅を「ニーマン」の偽名を使って訪れるも、当時駅へ向かっており不在であった。そのため、クリーヴランドの社会主義者への落胆を伝え、駅にいる無政府主義者仲間を紹介してもらう事にした。なおゴールドマン自身は、チョルゴッシュを擁護すべく一筆書き送っている。 一方、急進派の新聞「自由社会」紙はチョルゴッシュへの注意喚起を促す、次のような記事を掲載。 同志達の注意は、もう1人のスパイに向けられている。彼は中背で肩幅が狭く、金髪で年の頃は25。現在までシカゴやクリーヴランドに出没。(中略)彼の態度は人並みで、主義に相当興味を持っている振りをしており、来るべき暴動への支援を強く求めている。もし上記と同じ人物が姿を現せば、同志は予め警戒し、然るべき行動を取られたい。 何れにせよ、チョルゴッシュはアメリカ社会に富裕層が貧困層を搾取する事で焼け太る不平等が存在し、その理由が政府自体にあると結論付けた。 そのような中、ヨーロッパで発生したある事件を聞き付け人生が一変。1900年7月29日、イタリア国王ウンベルト1世が無政府主義者ガエタノ・ブレーシにより銃で暗殺(イタリア語版)されたのである。暗殺事件はアメリカの無政府主義運動に衝撃と影響を与え、ニューヨーク市警のジョセフ・ペトロシーノは、同様の団体がマッキンリー大統領を狙っているのではないかとした。しかし、マッキンリー自身は彼の警戒を一顧だにせずに終わる。
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