漆の歴史とは? わかりやすく解説

漆の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 09:52 UTC 版)

夜久野町における丹波漆と漆搔き」の記事における「漆の歴史」の解説

江戸時代 漆は福知山藩主要な特産物であり、その中で夜久野郷は主生産地一つであった1792年寛政4年)の井田村の「御漆山木数覚」によると、多いもので40本、少ないもので1本という開きはあるが、百姓それぞれ畑地サキ地末に栽培していたとされるまた、役人から木数を減らさないようにいわれているのを承知した文書を「百姓中」として庄屋組頭宛に提出している記録残っている。 幕末になると、1825年嘉永5年)には、「領内産物穀物一切自由な売買禁止して藩営とする」「産物抜いて売買する者は最も重罪とする」などを定めた市川趣旨」が出されたが、藩内農民から反感を買い1860年万延元年)の市川騒動へ発展していく。この騒動は、夜久野郷が主動であったとも言われ、漆を始めとした特産品対す規制にその一因があったのではないかとも言われている。 明治時代 中国大陸から安い外国漆が輸入され始め日本の漆採取業者徐々に苦し立場陥る昭和時代戦前戦時中生漆生産漸減し、輸入漆への依存高まっていく。この状況下から脱出しようと、国は国産漆の増産奨励乗り出し1933年昭和8年)に漆樹増産10ヵ年計画打ち出した京都府内では、漆増殖実行組合19組合員1729名が組織され天田郡では府内で最も多い4組合が組織された。しかし、10ヵ年計画最終年は、太平洋戦争真っ只中であり、計画十分に進行した可能性は低いとされる昭和時代戦後GHQ指示のもと国内資源活用叫ばれる国産においては1948年昭和23年)に京都商工会議所にて漆液増産についての協議がなされ、丹波漆生産組合設立した

※この「漆の歴史」の解説は、「夜久野町における丹波漆と漆搔き」の解説の一部です。
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