漁港の整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 08:40 UTC 版)
1926年(大正15年)の『安房郡誌』によれば、住民の多数は漁業に従事しており、ヒラメやマグロなどを獲っていた。「千葉県の漁港」(1928年、千葉県)によれば昭和初期頃の小湊漁港を根拠地(母港)としていた漁船は、廻船を含めた発動機船46隻、その他の漁船120隻であり、他県からの発動機船の出入りも多いとされている。 房総半島の太平洋側を巡る鉄道として整備された房総線(現在のJR外房線)は、1927年(昭和2年)2月に外房の勝浦駅から上総興津駅まで延び、 1929年(昭和4年)4月には安房鴨川駅までの全線が開通した。これまでの道路輸送や船による輸送に加えて、安房小湊駅からの鉄道輸送によって、水産物が首都圏各地の消費地により早く運べるようになった。 1949年(昭和24年)12月に漁業法(昭和24年法律267号)が公布され、漁業の民主化、近代化が進められることとなった。 小湊漁港では、敗戦直後の1946年(昭和21年)11月から60トン - 70トン級の大型漁船がいつでも自由に出入りでき、台風などの避難港としても利用できるように、漁港の堀削並びに突堤延長工事が行われた。1952年より、鯛の浦観光遊覧船の運航が行われる。 1932年(昭和7年)6月28日に水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)の実験実習の施設として寄浦地区に開設し、1985年(昭和60年)東京水産大学小湊実習場が千葉大学に移管され、大学の付属となり千葉大学海洋バイオシステム研究センターとして活用されている。
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