海外流出と受容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 04:41 UTC 版)
幕末に起きたジャポニスムによって、西洋では浮世絵がもてはやされたが、春画は画題が猥褻であるとの理由から嫌われ、輸出には供されなかった。しかし、次第に外国人好みの美人画が不足していったことから、明治末期から大正にかけて局部を書き換えた春画や、複数の春画を切り張りして一枚の美人画に仕立て上げたものを輸出するようになっていった。こうして作られた美人画は現在も多数流通しており、真贋をめぐって裁判沙汰になったケースもある。 西洋に初めて春画が伝わった時期は明らかではないが、イギリスに初めて春画がもたらさられたのは、1614年に日本から帰航した東インド会社所有のクローブ号(日本に初めて来たイギリスの商船)と言われている。日本で得た文物はオークションで売りさばかれたが、春画は猥褻であるとして、破棄された。優れた絵画として高く評価したのは、ジャポニズム時代のフランスの美術家たちである。美術評論家ジュール・ド・ゴンクールは、1863年の『日記』の中でいち早くその芸術性に言及したが、『日記』初版時にはその個所は削除された。「浮世絵の発見者」と称するゴンクール兄弟は春画のコレクションを多く所有し、春画の紹介に努めた。ロダン、ロートレック、ピカソといった画家たちに影響を与えたと言われている。 以来、春画のコレクターは世界中に広がり、オークションや展示会も各地で行なわれるようになった。春画コレクションを持つ美術館は多いが、一般に非公開である。パリのフランス国立図書館は所有する大量の春画を「地獄」のコレクション(一般の閲覧を禁じたもの)に収蔵しているという。ロンドンの大英博物館では、1960年代まで「シクレターム(秘密)」と呼ばれる部屋に春画を保管していたが、2013年に大規模な展覧会を行なった。 世界で春画が美術として高評価を得る様になると、ようやく日本でも美術館での春画の展覧会が、2015年(平成27年)10月に、東京都の永青文庫で企画展が開催される様になった。
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