海外渡航と国際交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 00:32 UTC 版)
長七は、府立五中の校長就任以後、海外渡航を多く実現し、そこで得た見聞を生徒たちに話しては、国際人としての重要性を説いていた。1921年に満州の奉天で開催された公聴会に出席し、日本統治時代の朝鮮などを視察。さらに、翌月には、欧米の教育視察へ出発。ワシントン会議を傾聴し、アメリカのハーディング大統領との単独面会を実現。サンフランシスコ到着後はスタンフォード大学を視察している。ヨーロッパ渡航では、フランス、ドイツ、イタリア、スイスを歴訪。フランスでは、画家の小山敬三の結婚式に立ち会っている。ドイツでは、親交のあった斎藤茂吉に会い、ウィーンの女学校を案内してもらった。スイスでは、当時駐スイス公使館付駐在武官であった永田鉄山の世話になっている。この際、長七は、日本中の小中学生や高等女学校の生徒から1万通もの手紙を集めて、訪問した国々の各学校で配り、国際交流を図ろうとした。 1926年に台湾を視察。1927年にはカナダのトロントで開催される国際教育会議に出席。帰途には「船を間違えた」と称して、予定にはなかったブラジルを訪問。駐ブラジル大使の有吉明の案内を受ける。そして、イギリス、フランス、ドイツを経て、ソ連で開通したばかりのシベリア鉄道に乗って帰国した。
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