浄瑠璃・歌舞伎での演技
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「芦屋道満大内鑑」の記事における「浄瑠璃・歌舞伎での演技」の解説
本作のテーマである「情」をどう表現すればよいかは、2代目義太夫(竹本播磨少掾)本人の言葉を、弟子である順四軒(じゅんしけん)が書き留めた『音曲口伝書』(明和8年=1771年・刊)に残されている。それによれば「子わかれの段、めったになき語りにあらず。一雫ずつ、涙を拭いては名残をいう心なり」とある。 さらに同書には、2代目義太夫が、子供ができたばかりの順四軒に子別れの段を語らせたところ、何もいわずにため息をつくばかりだったので、順四軒が問うたところ、「細君から、おまえが高台寺に詣でた際、雨に濡れそぼった孤児を見て涙したと聞いて親子の情を表現できるかと思ったが、『おもしろく聞こえて気の毒』」と語られている(「播師深切(はりまのしょうじょうしんせつ)の事」)。 5代目鶴沢燕三はこのエピソードを引いて、「『この段は滅多やたらと泣いていけず、一言一言を涙を拭いつつ言い、最後に〽思わずわっと泣く』とされています。そしてあくまで音遣いと情合いに徹するものだといわれています(原文ママ)」と語っている。 浄瑠璃の場合は、初演の太夫の「風」(ふう)を尊重する文化があるため、本作においても2代目義太夫の「情」を重視した演出が守られている。しかし、歌舞伎は浄瑠璃ほど初演の脚色に拘泥しないため、それぞれの演者がかなり自由に演じている。 たとえば、同じ名跡を継いだ親子でも、義太夫に対する造詣の深い武智鉄二の薫陶を受けた2代目中村扇雀(4代目坂田藤十郎)は、原作を重視するように演じたのに対して、3代目扇雀は、曲書きの愁嘆場を終え退場した葛の葉が突如再登場し、宙乗りを含むかなり奔放な演技を披露している。
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