派遣規模
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/27 20:29 UTC 版)
「自衛隊東ティモール派遣」の記事における「派遣規模」の解説
国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)に、司令部要員7~10人、施設部隊405~680人(東ティモール派遣施設群)を派遣した。武装は拳銃・小銃・機関銃。 先遣隊:2002年2月展開 1次隊:2002年3月2日 - 9月(群長・小川祥一1佐、約680人:北方主力) 現地4箇所へ展開して宿営地建設。PKOではじめて女性隊員を派遣。施設作業は約70件。 2次隊:2002年9月 - 2003年3月(群長・大坪義彦1佐、約680人、東北方主力) 道路補修・パネル橋の架橋など施設作業約130件。現地人による工事計画・管理事業者、施設器材の操縦者養成のための各種教育を全国規模で開始したほか、農業灌漑用水路復旧や陸上競技場復旧など本格的民生支援活動を各地で実施。また、米国同時多発テロ1年後のバリ島爆弾テロの発生に伴い国連平和維持軍としての自爆テロ対処活動を開始。さらに、12月のディリ暴動発生に際しては、避難を求めて来た外国人含む民間人41名を宿営地に保護するなど、従来にはなかった活動や対応を実施。 3次隊:2003年3月 - 10月(群長・田邉揮司良1佐、522人:中方主力) 1・2次隊よりも規模を縮小し、スアイ宿営地を廃止。施設作業約80件。民生協力として小学校校庭のサッカーグラウンド整備や孤児院の慰問を行う。イラク戦争勃発により国連施設の警備が強化されたため、PKF(国連平和維持軍)本部の自爆テロ対処にも協力した。 4次隊:2003年10月 - 2004年6月27日(群長・川又弘道1佐、405人:西方主力) さらに規模が縮小され、オクシ宿営地を廃止。マリアナ空港の整備、中部山岳地帯を南北に結ぶ幹線道路の整備など、施設作業約60件。民生協力ではマングローブの植樹や地元小学校での歯磨き教室など。5月20日の国連活動終了に伴い撤収開始。
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