洋装導入以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 01:07 UTC 版)
中国の洋式軍装は、1860年から64年までアメリカ人により編成された傭兵部隊の常勝軍に端を発する。彼ら中国人傭兵はアメリカ式の詰襟軍服に帕首(頭巾)を巻いていた。淮軍は常勝軍吸収の際これを参考にし、帕首と短衣(半洋装)からなる被服を導入、上衣前面の補子(中国語版)に所属等を書いた。軍官は馬褂の前面に黒の唐草文様が入り、私物と思われるベルトやブーツ、サーベルなども取り入れられた。階級章は日本風、ドイツ風、フランス風など多種多様で、階級の特定は困難を極める。1905年1月の西洋式階級導入後は、37年戦時服の様な袖章と星章が確認される。 こうした半洋装の軍服は、青島租界警察や第3海兵大隊隷下の中国人中隊(Chinesenkompagnie)でも類似したものが使用された。 旧来の伝統的な八旗兵(1870年代) 洋式装備軍の兵士(1867-68年頃) 帕首・短衣の砲兵隊(1871年) 新軍諸兵の軍装。左奥の2名は歩兵、前面が軍楽隊、腰掛けているのが砲兵。右奥は義和団(1899-1901年ごろ) 義和団の乱での武衛軍軍官(1900年前後) 新軍軍官。階級章はフランス風(1900~05年ごろ) 歩兵及び騎兵各種軍装。階級章は袖上腕部に付けられ、フランス風となっている。 江西材官隊教練官たる下級軍官。帕首を被っている(1904年) 高級軍官 武衛軍兵士(1900年ごろ) マンリッヒャーM1888(英語版)を携行する青島の中国人警官 義和団事件における兵士(1900年) 行進中の新軍兵士(昆明、1903年) 青島の中国人警官隊。帕首を巻いている。
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