法医学に関する業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 23:30 UTC 版)
ABO型血液型の研究 古畑は法医学教室の教授として、市田賢吉、岸孝義とともに金沢医大に赴任した。その直後、強姦事件に絡む親子鑑定のため、血液型の遺伝研究を開始した。すると、AB型の親からはO型の子供が生まれた事例はなく、O型の親からはAB型の子供は生まれた事例がないことに気づいた。 それまでのエミール・フライヘル・フォン・デュンゲルンとルードビッヒ・ヒルシュフェルドの2対対立因子説によると、 A因子 - not A因子(a因子) B因子 - not B因子(b因子) がそれぞれ対立していて、それらの間ではA因子・B因子が優性だとみなされた。この場合、AB型の親からは、A・B・AB・O型のどの子供も生まれることになる。 しかし統計を取ってみると、AB型とO型はたがいに親子になっていない。これは、2対の対立があるとすると説明できない。 これは2対の対立ではなく、 A因子 - B因子 - O因子 の対立があり、AとBはOに対し優性だとすると説明できる。この説は現在では正しいと認められている。古畑は1925年11月1日の第1回日本学術協会で発表した。 なお、同じ頃独立に、アメリカのモルガンやドイツのベルンシュタインらにより同様な三複対立因子説が提唱されている。ただし血清内の凝集素に関して、古畑らの説の方が正確だった(ベルンシュタインらは、AB型の血清に凝集素ρが存在するとしていた)。 Q型・E型 Q型は古畑の弟子にあたる今村昌一が1934年に発見したもので、ブタの血清を人間の血球に作用させると「強力な凝集が起きる人(甲群)」と「凝集が弱い人(乙群)」がおり、さらにブタ血清は乙群の血球を通した後の上清は甲群にしか反応しなくなった。そこでこのブタ血清には甲群には作用し乙群には作用しない凝集素があり(のちに人間の初乳にも含まれると判明)、この抗原を「Q」と名付け、Q抗原を有する血球を大文字のQ型、持たぬ血球を小文字のq型とした。その後の調べでこの血液型はQ型がq型より優性遺伝で、日本人の場合ABO型と無関係にQが32%・qが68%いるとわかった。 E型はウナギ(eel)血清から杉下尚治が1935年に発見したもので、元々はこれ以前に別の学者がベルンスタインの説に基づき、ABO型のO型に特異な凝集原がないか調べていた際に見つかったもので、凝集性がある血球を大文字E、ないものを小文字eとしたものである。ABO型とも関係があり古畑が調べた限りでは「E:e」の比率はAB型では「31.9:68.1」、A型「72.3:27.7」、B型「83.9:16.1」、O型は区別不能(すべて凝集する)となる。 しかし、現在ではQ型は1927年にランドシュタイナーらが発見したP型(こちらはウマ血清から得た凝集素)と同じもの、E型は実在しない血液型(ABO型全種にあるH抗原に対する反応を新血液型と誤認した)ものであるとされ、現在は使われていない。 古畑は、弘前事件の鑑定において、血液型判定をABO型、MN型、Q型、E型で行ったが、E型などは現在の観点から見ると科学的ではなかったと考えられている。
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