法令用語として登場する観光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 06:58 UTC 版)
「観光政策」の記事における「法令用語として登場する観光」の解説
1930年外客誘致のための行政組織を設置するため国際観光局官制(勅令)が制定された。 浜口雄幸内閣はロンドン海軍軍縮条約の批准にあたり国際貸借改善が重要政策であり、内閣重鎮の江木翼鉄道大臣は、黒字である帝国鉄道会計の実行予算をもって引き受けることとした。設立時は一般会計からの助成もなく、官吏俸給削減に反対する鉄道省官吏のストライキもあり、江木翼は寿命を縮め死亡したとされる4)。 朝日新聞データベース(聞蔵)の検索結果では、固有名詞として観光丸、観光寺、観光堂、観光社等が見受けられるが、普通名詞としては外地軍事施設等の視察(「駐馬観光」等)に使用(1893年)されることからはじまり、次第に軍事施設以外にも拡大し、国際観光局設置時期までには国際観光に限定されたものとして観光が定着していった。当初「観光局」と報道されていたが、江木翼大臣の強いこだわりで「国際観光局」(Board of Tourist Industry)と命名された5)。観光は用語としては明治以前から存在し、その一方ツーリズムは当時認識されていなかったことが、翻訳造語の社会、宗教等とは異なるところである。 外客誘致政策である外貨獲得には、「物乞い」といった印象があり5)、国際観光局の命名理由を「観光国日本として、その姿を惜みなく外国に宣揚し、七つの海から国の光を慕つて寄り集ふ外人に歓待の手をさし延ぶべきである、と云ふ大抱負が、すなはちこの観光局の命名」であり「輝かしい国の光をしめし賓客を優遇する」とし、帝国日本の文化、満州の文化6)を世界に示す国威発揚のため、オリンピック誘致等とあいまって、語源の意味とは異なったものとして観光が使用されていった7)。
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