決勝展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 05:18 UTC 版)
「1992年イタリアグランプリ」の記事における「決勝展開」の解説
レースはポールポジションのマンセル、2位のセナ、3位のアレジの順で順当なスタートを切った。予選5位のベルガーは電気系トラブルでピットスタート。予選6位のシューマッハもスタート直後のシケインでブーツェンと接触し、ノーズ交換のため最後尾からの追走となった。 予選4位のパトレーゼはアレジとセナをかわし、14周目に2位に浮上。ウィリアムズの2台がワンツー体制を構築する。序盤からリタイアが相次ぎ、予選好調だったフェラーリ勢もマシントラブルにより姿を消した。 20周目、マンセルが大幅にペースダウンし、パトレーゼに先頭を譲った。マンセルはパトレーゼの母国での優勝をお膳立てするつもりだったが、42周目にマシントラブルが発生し、ピットに戻ってリタイアした。終盤の48周目、今度はパトレーゼのマシンにもアクティブサスペンションのトラブルが発生。リアの車高が落ち、路面にフロアを擦りながら走行を続けるも、5位にまで順位を落とした。 ウィリアムズの自滅によりセナが今期3勝目を獲得し、表彰台の両脇にはベネトン勢が並んだ。6位チェザリスは今期3回目の入賞となった。
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決勝展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 06:46 UTC 版)
「1994年イギリスグランプリ」の記事における「決勝展開」の解説
スタート前のフォーメーションラップ中、隊列を先導するヒルをシューマッハが追い越す場面が2度あった。レギュレーション上ではこのような場合、シューマッハは最後尾グリッドに回らなければならないが、シューマッハはこれを無視して2番グリッドに。この些細な行為が後にこの年のチャンピオンシップの行方を左右する大問題に発展する。 レース開始前後にイギリス人ドライバーたちがアクシデントやトラブルに見舞われた。スタート直前に7番グリッドのデビッド・クルサード(ウィリアムズ)がエンジンストール。スタート手順は仕切り直しとなり、クルサードは最後尾にまわされた。2度目のフォーメーションラップではエディ・アーバイン(ジョーダン)が始動できずリタイア。そして、スタートシグナルが灯った瞬間、マーティン・ブランドル(マクラーレン)のマシンのプジョーエンジンが真っ赤な炎を吐いて息絶えた。 レースは予想通りヒルとシューマッハの2台が先行し、3位のベルガー以下、ルーベンス・バリチェロ(ジョーダン)、ジャン・アレジ(フェラーリ)、ヨス・フェルスタッペン(ベネトン)、ミカ・ハッキネン(マクラーレン)、片山右京(ティレル)らが続いた。先頭のヒルは15周目に最初のピットストップ。その3周後にシューマッハもピットストップを行い、ヒルとの順位を逆転してコースに復帰した。この間ベルガーが先頭に立ち、22周目にピットインするまでシューマッハの前を抑えた。 その間にレース審判団は「フォーメーションラップ中のシューマッハの追い抜き行為に対して、ピットレーンで5秒間のストップ&ゴーペナルティを科す」ことを決定し、ベネトンチームへ通告した。規定では3周以内にペナルティを受けなければならないが、ベネトン側は「レースタイムへの5秒加算」と思い込み、オフィシャルと議論する間もシューマッハにレースを続行させた。メインポストから即時ピットインを命じる黒旗が提示されたが、シューマッハは27周目まで先頭を走ってからピットへ戻り、5秒停止ペナルティを受けた。 再び先頭に立ったヒルは残り周回を危なげなく走り切り、父・グラハムが果たせなかった母国GP制覇を達成。表彰式ではプレゼンターとして来場したダイアナ妃から優勝杯を受け取った。シューマッハは18秒遅れの2位、1ストップ作戦を成功させたアレジが3位。最終ラップの最終コーナーでハッキネンとバリチェロがもつれ合い、マーシャルの押しがけでコースに戻ったハッキネンが4位、(最終ラップであることを知らず)ピットロードに戻ったバリチェロが5位となった。エンジンストールにより最後尾スタートとなったクルサードは6位まで挽回した。
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