水滸伝の来歴とは? わかりやすく解説

水滸伝の来歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:50 UTC 版)

水滸伝」の記事における「水滸伝の来歴」の解説

詳細は「水滸伝の成立史」を参照 水滸伝物語実話ではない。しかし14世紀元代編纂された歴史書宋史』には、徽宗期12世紀初めに宋江首領とする三十六人実在梁山泊近辺反乱起こしたことが記録されている。講談師たちは12世紀中頃に始まる南宋の頃には早くも宋江反乱史実をもとに物語膨らませていった推定され13世紀頃に書かれ説話集大宋宣和遺事』には、宋江以下三十六人の名前と彼らを主人公とする物語掲載されている。 15世紀頃にまとめられ水滸伝では、三十六人豪傑は3倍の百八人に増やされた。また、荒唐無稽暴力的な描写登場人物人物像改め梁山泊朝廷への忠誠心にあふれる宋江首領とし、反乱軍ありながらも宋の朝廷帰順し忠義をつくすことを理想とする集団設定され儒教道徳兼ね備え知識人読書にも耐えうる文学作品となったとは言え反乱軍主人公とする水滸伝儒教道徳重んじる知識人にはあまり高く評価されず、もっぱら民衆の読む通俗小説として扱われた。その風潮の中で、明末陽明学者儒者偽善批判した李卓吾水滸伝のような通俗小説高く評価したことはよく知られている。同じ時期農民反乱扇動する作品であるとして禁止令が出されており、また清代には京劇題材にとられ、108人が皇帝に従うという展開が西太后などに好まれた。 中国共産党では、「投降主義」的であると見なされ、降伏経験のある幹部原則主義的な立場から見て妥協的であるとされる幹部への間接的な批判として水滸伝批判が行われた。1975年毛沢東の名による水滸伝批判では、宋江が前首領晁蓋棚上げして実権握り、自ら首領となった挙句朝廷帰順したことが革命の裏切りであるとして非難され批判的に読むための連環画形式のものも出版された。これは「四人組による周恩来批判であった」と後に解釈された。 文化大革命が党によって全面批判された後は、このような政治的位置付け行われなくなり京劇の上演なども復活している。

※この「水滸伝の来歴」の解説は、「水滸伝」の解説の一部です。
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