気候モデルへの発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 19:38 UTC 版)
1960年にアメリカのスクリプス海洋研究所のキーリング(Charles Keeling)によって大気中の二酸化炭素濃度が季節変化しながらも緩やかに上昇していることがわかると、大循環モデルの研究者は地球規模の気候変動に関心を持ち始めた。 GFDLにいた真鍋淑郎は、1967年に同僚のウェザラルド(Richard Wetherald)と一緒に1次元の放射対流平衡モデルで計算を行った。彼らは二酸化炭素濃度の増加が当時の濃度の約2倍(600 ppm)となると、平均的な雲量のもとで地球の平均気温が2.36℃上昇するという結論を出した。さらに真鍋らは、1960年代後半から3次元の大循環モデルを開発し、1975年には、2倍の二酸化炭素濃度の下では2.93℃の気温上昇と水循環の活発化、成層圏の寒冷化、極域でのより強い温暖化などが起こることを示した。この成功によって大循環モデルは気候モデルへと発展し、今日の気候研究を支える基盤となった。 真鍋らの結果は他の研究者たちに対して大きな影響を与え、多くの気候研究者たちが気候変動の複合的な原因を探るために気候モデルを使い始めた。これらの気候研究は気候変動についての国際的な関心を高め、それらを通して政治家や民衆へも影響を与えた。1979年には、アメリカ科学アカデミーがチャーニーを議長とする暫定委員会で気候モデルによる将来予測結果を検討し、気候モデルの予想する気温上昇が将来起きるという結論を政府に提出した。さまざまな気候モデルの将来予測の結果は地球の温暖化を示し、その後世界気象機関(WMO)などの主導によって、1988年に「気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change: IPCC)」が設立され、1992年の地球温暖化防止のための「気候変動に関する国際連合枠組条約」の採択へとつながっていった。 また真鍋は、海洋学者であるブライアン(Kirk Bryan)と協力して大気と海洋を結合した数値モデルを作った。彼らは実際の約2/3の面積を持つ膨らんだ円筒形の地球に幾何状の海陸分布を入れた簡単な数値モデルを用いて、1969年におおまかではあるが実際に近い気温と水温の高度(深度)緯度断面の結果を示した。さらに1975年に彼らはより現実に近い海陸分布や水蒸気の循環を入れた気候モデルを開発し、現実に近い結果を得た。これは大気と海洋を結合させた気候モデルの発展への大きなステップアップとなった。
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