死後の評価と20世紀の再評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:27 UTC 版)
「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の記事における「死後の評価と20世紀の再評価」の解説
カラヴァッジョの名声はその死後間もなく急速に廃れてしまった。カラヴァッジョの革新性はバロック芸術のきっかけになったとはいえ、バロック絵画はキアロスクーロを用いた劇的な効果のみを取り入れて、カラヴァッジョの特性といえる肉体的な写実主義には目を向けようとはしなかった。上述した画家以外では、イタリアからは距離があるフランスのジョルジュ・ド・ラ・トゥール、シモン・ヴーエ、スペインのホセ・デ・リベーラらが直接カラバッジョの影響を受けた画家だが、カラヴァッジョの死後数十年でその作品は単なる醜聞にまみれた画家が描いた絵画とみなされるか、あるいは単に忘れ去られてしまった。カラヴァッジョの死後バロック美術は発展し作風も変化していったが、その成立に多大な貢献をしたカラヴァッジョはバロック美術の発展に多大な貢献をしたアンニーバレ・カラッチとは違って工房も弟子も持たず、自身の絵画技術を広めるための努力はしていない。自身の作品の根幹ともいえる理性的な自然主義絵画製作手法について何も語ってはおらず、その写実的な心理描写の技法は残された作品から推測するしかなかった。それゆえに、後世のカラヴァッジョの評価は、ジョヴァンニ・バリオーネ (Giovanni Baglione) とジョヴァンニ・ピエトロ・ベッローリ (en:Gian Pietro Bellori) がそれぞれ書いたカラヴァッジョに極めて否定的な初期の伝記に大きく左右された。バリオーネはカラヴァッジョと長く確執があった画家で、ベッローリは直接カラヴァッジョとは面識がなかったが、その作品を嫌っていた画家であり、かつ17世紀に影響力があった批評家でもあった。 しかし、1920年代になってからイタリア人美術史家ロベルト・ロンギ (Roberto Longhi) がカラヴァッジョを再評価し、西洋美術史のなかに確固たる地位を与えた。それは、ロンギとL.Venturiが主導した1951年のミラノでの「カラヴァッジョとカラヴァッジョ派展」で確立された(アンドレ・シャステル)。 ロンギは「ホセ・デ・リベーラ、フェルメール、ラ・トゥール、レンブラントは、もしカラヴァッジョがいなければ存在しえない画家だっただろう。また、ドラクロワ、クールベ、マネらの芸術も全く異なったものになっていたに違いない」とし、著名な美術史家バーナード・ベレンソンも、「ミケランジェロを除けば、カラヴァッジョほど絵画界に大きな影響を及ぼしたイタリア人画家はいない」と同様の意見を述べている。 カラヴァッジョはイタリアの10万リラ紙幣に肖像が採用された。このときには「人殺しを紙幣の顔に採用するとはどういうことか」と一部から批判の声があがった。しかし、画家としての業績や時代背景などを考慮して採用されることになった。
※この「死後の評価と20世紀の再評価」の解説は、「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の解説の一部です。
「死後の評価と20世紀の再評価」を含む「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の記事については、「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の概要を参照ください。
- 死後の評価と20世紀の再評価のページへのリンク