死後の論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 14:52 UTC 版)
彼女は強い感染力をもつコロナウイルスの患者を治療する際に基本的な防護服を使用できなかったとされ、両親もコロナウイルスで死亡していたことから、彼女の死のニュースは当初インターネット上で急速に拡散された。彼女がコロナウイルスで亡くなった最初の看護師であること、旧正月期間中も勤務を続けていたこと、両親がウイルスに感染して死亡し、集中治療室にいた唯一の弟とともにバレンタインデーに亡くなったことも大きな注目を集めた。これは後に検閲当局者によって「捏造されたデマ」であるとされ、さらに当局者はこれらの主張はどれも真実ではないと語り、ニュースを投稿した人々を「外国勢力によって指示された」として非難した。 しかし、後にこの内容が事実であることが確認された。彼女と著名な監督であった常凯が血の繋がった姉弟であることが判明し、これらの情報はさらに大きな反響を呼んだ。以前の常凯の死のニュースでは、病院のベッドが足りずに家族4人が同じ感染症で死亡し、英国に留学していた息子だけが助かったと報じられたことや、自分の境遇を強く切実に訴える遺書が友人たちによって投書されたことなどから、世間一般の注目と強い反応を呼び起こしていた。 また、彼女を非人道的に扱い、職務を軽視し、さらには彼女の死を暗に本人の責任にしたとして病院が非難されたことで別の論争が起こった。病院側はインタビューの中で、「彼女は注射をするだけの看護師にすぎなかった」、「病院は彼女を最前線の職務には就かせていなかった」、「病院はすべての職員に対して有効性のある個人的な予防策を徹底するように求めている」などと発言したことで激しい批判を浴びた。武漢市当局は彼女に関する状況へ対処するために公式声明の発表を余儀なくされた。
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