死後の評価と再評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/05 05:07 UTC 版)
「カール・ヴァイグル」の記事における「死後の評価と再評価」の解説
私はずっと、ヴァイグル博士が旧世代の作曲家の中で最高の一人であると認めて参りました。(つまり博士は、)ウィーンの輝かしい伝統を前進させてきた偉大な作曲家の一人なのです。ウィーンの文化を形作っている最も上質な部分の一つである、昔の音楽家が持っていた懐かしい佇まいを、彼は疑いなく守り続けているのです。 — アーノルト・シェーンベルクが1938年7月に作成した推薦状 その後の数十年間は、カール・ヴァイグルの名は、さまざまな演奏家のプログラムに、繰り返し散発的に浮かび上がるだけであった。例えば、1968年に《交響曲 第5番「黙示録」》をカーネギーホールで初演した、レオポルド・ストコフスキーとアメリカ交響楽団のほかに、イシドア・コーエンやリチャード・グード、レーヴェングート四重奏団、パウル・ドクトル、ロマン・トッテンベルク、シドニー・ハースらがヴァイグル作品を取り上げている。だが現在までに、ヴァイグルの作品を世界の演奏会場に定着させる試みは、功を奏してはいない。1990年にウィーン・アルティス弦楽四重奏団が《弦楽四重奏曲 第1番 イ長調》作品1をオルフェオ・レーベルに録音し、興味深い音楽をより広い聴衆に紹介して忘却の中から決定的に掘り起こそうと試みてから、ニンバス・レーベルから《弦楽四重奏曲 ハ短調》作品20と《弦楽四重奏曲 ト長調》作品31の新録音を出すまでには、かなりの年月を要した。一方で、指揮者のトーマス・ザンデルリングは、BISレーベルに《交響曲 第5番「黙示録」》《交響曲 第6番》《古きウィーン》《幻想的間奏曲》を録音した。 カール・ヴァイグルの音楽は失われないだろう。嵐が過ぎ去ってしまえば、人はそこに戻って来るだろうから。 — パブロ・カザルス
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