武田山本氏関係文書とは? わかりやすく解説

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武田・山本氏関係文書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 06:24 UTC 版)

真下家所蔵文書」の記事における「武田・山本氏関係文書」の解説

真下家所蔵文書のうち「山本菅助」を宛名とする文書2008年5月安中市学習ふるさと学習館による所蔵資料調査機に発見され、同館学芸員佐野亨介が山梨県立博物館学芸員海老沼真治に照会し同年9月15日調査実施された。内容戦国期の5通の文書のうち、「山本菅助」を宛名とする武田氏発給文書が3通あり、1通を除いて戦国遺文 武田氏編』『山梨県史』に採録されていない新出文書であることが確認された。 5通の文書に「信玄公御證文」と朱書きされた漆箱に収められ保管されている。文書表紙に「信玄公 御證文」と墨書された便箋付せられた巻子本で、年記記されていない文書を含むが年代順に成巻され、一通ごとに内容を示す付箋付せられている。料紙武田氏文書発給した16世紀後半から17世紀初頭のもので、宛名切断などの手加えられていない鑑定されている。寸法武田氏発給した文書同等のものとされる文書筆跡一通ごとに異なるが、いずれの文書文書においては異筆認められないまた、柴辻俊六2007年段階で『武田氏研究36号に「山本勘助」の虚像実像」を発表し東大史料編纂所保管の「古文書雑纂」に収められた「高崎山本文書」を紹介し真下所蔵文書含まれる4通の文書存在指摘したその後辻は真下家の調査行い、「家康御證文」と記された漆箱に収められ二通文書発見し2009年8月2日には山梨県立博物館による再調査実施された。 ほか、真下家には南北朝期文書含まれ建武4年5月13日高師直奉書里村紹巴とみられる年月日未詳書状確認されている。 真下家所蔵文書のうち武田・山本氏関係文書は海老沼(2009年)において翻刻され、2013年には戎光祥出版より『山本菅助実像を探る』が刊行されその後発見され文書沼津山本家文書はじめとする関係史料とともに翻刻された。また、2010年平成22年6月5日-7月5日には山梨県立博物館においてシンボル展「実在した山本菅助」展が開催され真下家所蔵文書がはじめて一般公開されたほか、シンポジウム開催され諸論考が発表された。

※この「武田・山本氏関係文書」の解説は、「真下家所蔵文書」の解説の一部です。
「武田・山本氏関係文書」を含む「真下家所蔵文書」の記事については、「真下家所蔵文書」の概要を参照ください。

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