樫尾俊雄
樫尾俊雄とは、カシオ計算機株式会社の創業メンバーのひとりである。世界初の、純粋に電子的な計算処理をする量産型計算機「カシオ14-A型」の開発者として知られている。1925年元旦生まれ。
技術者として早くから類まれな才能をしめしていた俊雄は、1940年に逓信省に入省、勤務していた。そこでは電気通信技官拝命を受けている。しかし兄・樫尾忠雄が運営していた「樫尾製作所」に入社することを決める。折しも製作所が設立された1946年、米国ではジョン・モークリーとジョン・プレスパー・エッカートの手によって本格的なデジタル式計算機「ENIAC」の開発が成功したところだった。この報せを聞いた樫尾俊雄は、今後世の中への計算機の必要性について確信を得たとされている。それから、卓越した技術者だった兄・忠雄とともに計算機の開発に取り組むようになる。俊雄は創造性において卓越しており、忠雄はそれを実現する十分な技術力の持ち主だった。
1957年、樫尾製作所は、リレー素子を採用した、純粋に電子的な計算処理をする世界初の量産型計算機「カシオ14-A型」の開発に成功、商品化を実現する。この功績が称えられて、翌1958年に俊雄は東京発明協賛会会長賞を受賞している。社名は14-A型計算機の発売に際してカシオ計算機と改名され、株式会社に改組して、後に全国販売を展開した。
樫尾四兄弟は、主に長兄・忠雄が財務担当、次兄・俊雄が開発担当、三男・和雄を営業担当とし、四男・幸雄を生産担当として、カシオを運営していった。電子計算機の後も、電卓、デジタルウオッチ、電子楽器、ポケットテレビ、液晶モニター付きデジタルカメラなど、画期的な製品を素早く、なおかつ低価格で発表し、消費者のニーズに応え、瞬く間に急成長をとげた。樫尾俊雄は、忠雄が社長から相談役へと退くのを受けて1988年に代表取締役会長に就任した。2000年には、米国家電協会より生涯業績賞を受賞している。
(更新:2006年1月)
参照リンク
CASIO Japan
樫尾俊雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 06:10 UTC 版)
樫尾 俊雄(かしお としお、1925年(大正14年)1月1日 - 2012年(平成24年)5月15日)は、日本の実業家。カシオ計算機創業メンバーの「樫尾四兄弟」の一人(次男)。四兄弟の役割分担では開発を担い、カシオミニなど数々のヒット商品の開発に貢献。カシオ計算機会長を務めた。
- ^ 樫尾俊雄 人とその生涯 樫尾俊雄発明記念館
- ^ a b “成城に「樫尾俊雄発明記念館」‐世界初の小型純電気式計算機など一般公開”. 二子玉川経済新聞. (2013年10月3日) 2018年7月7日閲覧。
- ^ 市民緑地 - 一般財団法人世田谷トラストまちづくり
- ^ カシオ、27年ぶり社長交代 長男の和宏氏が昇格 和雄氏は会長に 日本経済新聞 2015年5月13日付
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