桑名宿の史跡みどころとは? わかりやすく解説

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桑名宿の史跡・みどころ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:41 UTC 版)

桑名宿」の記事における「桑名宿の史跡・みどころ」の解説

七里の渡し宮宿との間海路七里(28km)を結んでいた七里の渡し船着き場跡。伊勢神宮遙拝用の一の鳥居がある。この鳥居江戸時代天明年間伊勢国のはじめの地にふさわしい鳥居をと願い矢田甚右衛門大塚六郎関東諸国勧進して立てたのが始まりである。明治以降神宮式年遷宮のたびに宇治橋外側鳥居削って建て直されている。1959年昭和34年)、三重県指定史跡となった大塚本陣跡(船津屋) 脇本陣駿河屋」跡(料理旅館山月」の一部通り井跡 柿安本店文明開化初期1871年明治4年)に開業した牛鍋屋由来老舗桑名宗社春日神社桑名神社三崎大明神)と中臣神社春日大明神)の総称で、別名春日神社とも呼ばれる桑名総鎮守社。楼門随神門)は1833年天保4年15藩主松平定永建立したものがあったが、1945年昭和20年空襲により焼失。現在建っているのは1995年平成7年)に再建されたもの。 青銅鳥居桑名宗社門前旧東海道面して建つ鳥居1667年寛文7年7代藩主松平定重が辻内善右衛門命じて建立したもの。その後何度天災戦災遭ったが、その都度歴代の辻内氏により修復され今日至っている。1965年昭和40年三重県指定文化財になった桑名城九華公園 鎮国守国神社本丸跡歴史を語る公園 海蔵寺薩摩義士墓所佛眼院喚鐘桑名藩藩士墓所桑名宗社春日神社)の青銅鳥居 桑名宗社楼門 鎮国守国神社

※この「桑名宿の史跡・みどころ」の解説は、「桑名宿」の解説の一部です。
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