桑名・員弁周辺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 15:13 UTC 版)
大矢知を出た一揆隊が次に向かったのは桑名で、扱所・屯所・学校・権衡売捌所を焼き討ちにし、病院や融通会所などを破壊した。桑名郡では輪中地帯で根強い反対闘争があり、四日市と並び激しい攻撃が為された。桑名での攻撃方針は「御一新後ニ出来候分ハ不残焼払候事」であった。 員弁郡は全郡を挙げて押付反米に反対するも呑まされた地域であり、阿下喜村(あげきむら、現在のいなべ市北勢町阿下喜)周辺で焼き討ちが激しかった。員弁郡での一揆の特色として、地主も押付反米に反対していたことと、個人的な妬みから焼き打ちを実行する者がいたということである。
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