桂三木助襲名後とは? わかりやすく解説

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桂三木助襲名後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:48 UTC 版)

桂三木助 (4代目)」の記事における「桂三木助襲名後」の解説

翌年1985年)に26抜きで真打昇進四代目桂三木助襲名古今亭志ん輔七代目桂才賀林家かん平入船亭扇遊柳家小ゑん林家時蔵林家らぶ平柳家三寿春風亭正朝同時昇進で、そのうち古今亭志ん輔とは鈴本演芸場九月下席にて一足先に真打披露行った1990年平成2年7月広告デザイナー女性盛大な結婚式挙げて海外新婚旅行に出かけたが、帰国直後離婚。「成田離婚」と騒がれたが、後に未入籍であったことが判明する。この騒動直後1990年10月博品館劇場での「春風亭小朝 連続三十日奮闘公演」で、全期間小朝の前の出番落語演じきり、小朝とともに注目集めた1993年平成5年)の秋に入院した三木助は、重度胃潰瘍のために胃の4分の3摘出する手術行ったこの頃から、タレントとして仕事をほぼなくし、落語家仕事専念するうになる。その理由として、胃の摘出によって体力的に衰え自覚したことにあることを、演芸専門誌インタビュー述べている。 さらに同年自分の師匠の孫にあたる弟弟子柳家小緑戦後史上最年少での真打昇進決定となり、翌年1994年には小緑改め柳家花緑真打昇進披露興行開催された。それらの影響受けて落語対す姿勢変わり春風亭小朝林家こぶ平春風亭昇太とともに江戸落語若手発掘自身含めた中堅世代スキルアップのために、数々寄席落語関連のイベント奔走することとなる。 同年9月には「三木助ひとり会スペシャル」という昼夜独演会開催し昼の部には立川志の輔昇太夜の部には桂小米朝立川談志を招くなど、主役である自分食われかねないゲストとも共演したまた、三木助は元来上方名跡である事から、桂米朝にも幾つか噺を教わり精進重ねた。父がかつて芸術祭賞を受賞した芸術祭に対して意欲示し1996年平成8年)は不参加であったものの、1997年平成9年)には演芸部優秀賞受賞した。さらに吉川潮協力のもと、父の十八番であった芝浜』も習得しよう励んでいた。

※この「桂三木助襲名後」の解説は、「桂三木助 (4代目)」の解説の一部です。
「桂三木助襲名後」を含む「桂三木助 (4代目)」の記事については、「桂三木助 (4代目)」の概要を参照ください。

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