栄誉と名声
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「アーネスト・ニューマン」の記事における「栄誉と名声」の解説
生前の大半の時期、ニューマンは公的な賞を受けることを固辞してしていたが、1956年にフィンランド白薔薇勲章、そして1958年にドイツの大功労十字章の受章を承諾、さらに1959年にエクセター大学から名誉博士号を授かった。1955年には彼の評論家としての50周年を祝して『Fanfare for Ernest Newman』と題した記念論文集(英語版)が記念品として出版され、ネヴィル・カーダス、フィリップ・ホープ=ウォレス、ジェラルド・エイブラハム、ウィントン・ディーン、クリストファー・ハッサール、ジャック・ウェストラップらが参加した。 1963年にニューマンの未亡人が夫の回顧録を出版した。この本の書評として、ジャック・ウェストラップは次のように書いている。「彼女の物語はこれといった飾り気もなく夫との40年にわたる期間の日々の暮らしを記録している(中略)ここにあるのは手加減ない勤め人の肖像である。頻繁に不健康にあがき、十分に生計を立てるための決断において頑固で、自ら人生に課したワーグナーという重荷にうめく(中略)かすかに不安な気配がするのは、彼が子ども好きではなかったという事実のみである。」 『音楽と音楽家に関するグローヴの事典』はニューマンについて次のように書いている。 評論家としてのニューマンの目的は、評価という行為における完全なる科学的正確性であった。豊富な読書量、よく整理されたノートのまとめ方、法廷弁論のような議論スタイルはかつて受けた古典文学と哲学の訓練から発展したもので、これらによって彼は目標に大きく近づいた。しかし彼がファンを獲得し続けたのはその文書の陽気な人間性によってであり、それは引き出しの多い彼の知性、洞察力のある判断に、そして同じく彼の生活様式にも反映されている。 死亡記事での賛辞として『オブザーバー』紙はニューマンを次のように評した。「大半の学者とは異なり、ニューマンは無比の音楽ジャーナリストだった。彼の紡ぐ文章の活力、それが明らかにする大きな人間性の感覚、既知と痛烈さ、そして学びが彼を疑問の余地なく同時代における傑出した評論家たらしめたのである 。」
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