松本奎堂
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松本 奎堂(まつもと けいどう、天保2年12月7日(1832年1月9日) - 文久3年9月25日(1863年11月6日))は、三河国出身の幕末の志士。通称謙三郎、名は孟成、衡。字は士権。奎堂は号。別の号に嬬川、洞仏子がある。
- ^ 「石磴盤囘老樹閒 金槌難入九泉底 此中何事設重關 知是祖龍埋骨山」という漢詩を作ったとされる。
- ^ 『刈谷市史文書目録 2』刈谷市教育委員会、1997年、p.4
- ^ 靖国神社社務所『靖国神社忠魂史』靖国神社、1933年、p.48
- ^ 田尻佐 編「特旨贈位年表」『贈位諸賢伝 増補版 上』近藤出版社、1975年、p.6
- ^ 津田信吉『奎堂松本先生ニ就テ』宇都宮万五治、1940年、pp.135-136
- ^ 刈谷町誌編纂会『刈谷町誌』刈谷町、1932年、pp.383-384
- ^ 亀城小学校創立百周年記念事業実行委員会『亀城小学校の百年』記念事業発行委員会、1973年
- ^ 旧校歌。戦後には新校歌が制定された。
- ^ 『大和義挙天誅組 總裁松本奎堂先生年譜 天誅組八十年祭記念』維新志士顕彰会、1942年
- ^ 平井芳男「文人松本奎堂と縁ある故郷の人びと」『かりや』刈谷市郷土文化研究会、22号、2001年
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