松山人車軌道とは? わかりやすく解説

松山人車軌道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/18 09:01 UTC 版)

松山人車軌道(まつやまじんしゃきどう)は、宮城県志田郡松山町(現在の大崎市の一部)にあった人車軌道、およびその運営会社である。人車としての営業は1922年大正11年)から1929年昭和4年)までで、人車の廃止とともに「人車軌道」社名のまま乗合バス事業を開始した。1945年(昭和20年)に運輸局より企業統合の指令を受け、仙北鉄道に吸収されて会社は解散した。


注釈

  1. ^ 文覚上人(遠藤盛遠)を祖とする。
  2. ^ 千石村、金谷村、須摩屋村、次橋村、長尾村の計5か村の合併による。
  3. ^ 昭和17年の時点で資本金1万円、保有自動車1台、営業キロ2.2キロであった。『仙北鉄道社史』341頁
  4. ^ 大正11年度鉄道省鉄道統計資料では11月2日許可。他の資料でも開業日が3日や4日がある。
  5. ^ 1934年時バス1台1路線2.2キロ『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ この点に関して白土は『松山町史』の「はじめ茨城の笠間から人車を譲り受け4台を常備し、その後4台の新車を購入し、」という記述から、笠間から購入した人車が老朽化したため、やむを得ず無認可で人車を新造(または改造)し、旧車体は廃棄したのではないかと推測している。

出典

  1. ^ a b おおさき古道ガイド・古川高城道・松山周辺(宮城県)
  2. ^ おおさき古道ガイド・古川高城道(宮城県)
  3. ^ 番号197 『御領分絵図』(年代不明)宮城県図書館
  4. ^ 番号200 『御領分絵図』(慶応元年(1865年))(宮城県図書館)
  5. ^ 番号204 『仙台領分図』(寛文10年(1670年) - 延宝6年(1678年))(宮城県図書館)
  6. ^ 『松山町史』1233-1234頁。
  7. ^ a b c d e f 『松山町史』1237-1240頁。
  8. ^ a b 『かつしかブックレット15 帝釈人車鉄道 -全国人車データマップ-』、葛飾区郷土と天文の博物館、2006年、31頁
  9. ^ 経済産業省「近代化産業遺産認定遺産リスト(都道府県別) (PDF) 」、2008年度、2009年2月6日発表。
  10. ^ 『宮城県史 5』、696頁
  11. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1922年5月18日(国立国会図書館デジタル化資料)
  12. ^ 昭和4年度鉄道統計資料
  13. ^ 「軌道運輸営業廃止」『官報』1930年4月16日(国立国会図書館デジタル化資料)
  14. ^ 朝日新聞 2007年10月27日 東京地方版/宮城 『(散歩みち:112)松山 往年の人車、祭りで運行 /宮城県』
  15. ^ a b 読売新聞 2009年2月7日 東京朝刊 『近代化遺産「松山人車」など認定=宮城』
  16. ^ 『かつしかブックレット15 帝釈人車鉄道 -全国人車データマップ-』、30頁
  17. ^ a b c 『かつしかブックレット15 帝釈人車鉄道 -全国人車データマップ-』、96頁
  18. ^ 大崎市 | くらしのガイド | 文化財
  19. ^ 河北新報 1992年9月4日 『レールの上人力でコトコト/宮城・松山町/懐かしの「人車」完成』
  20. ^ 弊社のあらまし詳細


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