東洋思想との邂逅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 07:12 UTC 版)
その後の田口の生き方を決定づける東洋思想との邂逅は、そのアクシデントの渦中にあった。バンコクのシリラ王立病院に入院している時、事故を伝え聞いた、在留日本人が見舞いにやってきて、何冊かの本を置いて行った。そのなかのひとつが「老子」だった。『fooga』にはこう書かれている。 田口は絶望感に打ちひしがれ、絶え間なく襲ってくる激痛のなかで、藁にもすがる思いで文字を追った。漢語の原文と読み下し文のみが書かれている本で解説がついていたわけではなかったが、不思議と理解することができた。それまで、読み下し文に親しんでいたわけではない、『老子』についての知識も皆無であった。それなのに、難しい言葉がスラスラと頭に入ってきた。極限の痛みで書物を読めるような状態ではないのに、まるで乾いた土地にみるみる水が沁みこむように田口の頭に老子の思想が入ってきた。感覚が剥き出しだったのだろう。生きるよすがを希求する田口の魂と『老子』に書かれてある言霊が融合したのだ。そう考える以外に、なかった。 田口は肉体的な後遺症と中国古典思想という、大事故がもたらした2つをもって、日本へ帰り、むさぼるように『老子』や『荘子』を読む。やがて関心は四書五経(四書とは「大学」「中庸」「論語」「孟子」をいい、五経とは「易経」「詩経」「書経」「礼記」「春秋」を指す)など中国古典思想全般へと広がった。30歳までの5年間は、傷の治療と中国古典思想を紐解くことに費やされた。
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