東松照明とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 東松照明の意味・解説 

とうまつ‐しょうめい〔‐セウメイ〕【東松照明】

読み方:とうまつしょうめい

[1930〜2012写真家愛知生まれ本名照明(てるあき)。社会派として、迫力のある表現日本の戦後史を記録した写真集太陽鉛筆」で芸術選奨文部大臣賞日本写真家協会年度賞を受賞。他に「光る風沖縄」など。平成7年1995紫綬褒章受章


東松照明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 18:01 UTC 版)

東松 照明
(とうまつ しょうめい)
国籍 日本
出身地 日本愛知県名古屋市
生年月日 (1930-01-16) 1930年1月16日
没年月日 (2012-12-14) 2012年12月14日(82歳没)
活動時期 1954年 -
テンプレートを表示

東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日 - 2012年12月14日)は、日本写真家

戦後日本を代表する写真家の一人。ヨーロッパやアメリカでも写真展を開くなど、海外での評価も高い。愛知県名古屋市出身。

経歴

愛知県名古屋市に生まれる。1954年 - 愛知大学法経学部経済学科在学中、土門拳木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募。学内新聞に発表した「皮肉な誕生」が反響を呼ぶ。卒業後、『岩波写真文庫』のスタッフになる。

1956年 - フリーとなる。1958年 - 「地方政治家」を題材にした作品群で日本写真批評家協会新人賞受賞。

1959年 - 奈良原一高細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)。

1961年 - 土門拳らと広島、長崎の被爆者、被爆遺構などを取材、『hiroshima-nagasaki document 1961』(第5回日本写真批評家協会作家賞)を刊行。1963年 - 雑誌『太陽』の特派員としてアフガニスタンを取材、翌年『太陽』5月号でアフガニスタン特集が組まれる[1]

1968年 - 写真集『サラーム・アレイコム』を自身の出版社「写研」より刊行[1]1969年 - 雑誌『アサヒカメラ』の特派員として沖縄を取材[1]。写真集『沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある』を出版。

1972年 - 沖縄に移住。

1974年 - 「New Japanese Photography」展(ニューヨーク近代美術館)出品、 荒木経惟らと「ワークショップ写真学校」を開講。1975年 - 写真集『太陽の鉛筆』で日本写真協会年度賞、翌年芸術選奨文部大臣賞毎日芸術賞受賞。

1984年 - 「SHOMEI TOMATSU Japan 1952-1981」展(ウィーン近代美術館など)。1992年 - 「SAKURA +PLASTICS」展(メトロポリタン美術館)。

1995年 - 紫綬褒章受章。

1998年 - 長崎に移住。1999年 - 「日本列島クロニクル―東松照明の50年」展(東京都写真美術館)開催、日本芸術大賞受賞(新潮文芸振興会主催)。2000年 - 「長崎マンダラ展」(長崎県立美術博物館)。

2002年 - 「東松照明展 沖縄マンダラ」(浦添市美術館)開催。アフガニスタン支援を目的に巡回写真展「アッサラーム・アレクイン」を開始[1]2003年 - 「東松照明の写真 1972-2002」展(京都国立近代美術館)開催。中日文化賞受賞[2]

2004年 - 「Skin of the Nation」展(ワシントン、サンフランシスコを巡回)。

2005年 - 日本写真協会功労賞受賞。

2006年 - 「愛知曼陀羅-東松照明の原風景」展(愛知県美術館)。 2007年 - 「東松照明:Tokyo曼陀羅」展(東京都写真美術館)。2011年 - 「東松照明写真展「太陽へのラブレター」」(沖縄県立博物館・美術館)。

2012年 - 12月14日肺炎のため那覇市内の病院で死去[3]

主な作品

写真集

『やきものの町 瀬戸』岩波書店、1954年
『水害と日本人』岩波書店、1954年
『戦争と平和』岩波書店、1955年
『hiroshima-nagasaki document 1961』(共著)原水爆禁止日本協議会 1961年
『〈11時02分〉NAGASAKI』写真同人社、1966年
『サラーム・アレイコム』写研、1968年
『おお!新宿』写研、1969年
『沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある』写研、1969年
『戦後派(フォトシリーズ映像の現代5)』中央公論社、1971年
『I am a king』写真評論社、1972年
『太陽の鉛筆 沖縄・海と空と島と人びと・そして東南アジアへ』毎日新聞社、1975年
『泥の王国』朝日ソノラマ、1978年
『東松照明の戦後の証明』朝日新聞社、1984年
『廃園』PARCO出版局、1987年
『さくら・桜・サクラ』ブレーンセンター、1990年
『Visions of Japan』光琳社出版、1998年
『時の島々』岩波書店、1998年
『日本の写真家30 東松照明』岩波書店、1999年
『東松照明 1951-60』作品社、2000年
『東松照明展 沖縄マンダラ』前島アートセンター、2002年
『東松照明:Tokyo曼陀羅』東京都写真美術館、2007年

評論

上野昻志『写真家東松照明』青土社、1999年
東松照明監修『長崎曼荼羅 : 東松照明の眼1961~』長崎新聞社、2005年

脚注

  1. ^ a b c d 『アフガニスタンを知るための70章』明石書店、2021年、274-277頁、ISBN 978-4-7503-5243-5
  2. ^ 第51回~第60回受賞者:中日文化賞”. 中日新聞. 2019年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月5日閲覧。
  3. ^ 写真家の東松照明氏が死去、長崎や沖縄を撮影”. YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2013年1月7日). 2013年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月5日閲覧。

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東松照明」の関連用語

東松照明のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東松照明のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東松照明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS