東側諸国への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:19 UTC 版)
中ソ対立が、東側諸国内部の関係に及ぼした影響を一枚の地図に図示するならば右図のようになるが、実際には各国の立場は微妙なニュアンスと時代ごとの変化を含んでいる。以下、代表的な国を例示する。 アルバニア社会主義人民共和国(地図上では「黄色」に分類) 中国と友好し、ソ連と敵対。1968年にワルシャワ条約機構を脱退。1971年にはアルバニア決議を出して、中華民国を国際連合から追放させる。1976年の毛沢東の死後は中国とも敵対し(中ア対立)、事実上鎖国的な孤立政策を取る。 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(地図上では「黒」に分類) 1948年にソ連と対立しコミンフォルムを除名処分。非同盟諸国の有力国家となり、1977年にヨシップ・ブロズ・チトー大統領は中国を訪問した。 ルーマニア社会主義共和国(地図上では「赤」に分類) 1968年のプラハの春では、ワルシャワ条約機構軍の軍事介入を非難するなど、ソ連とは距離を取って西側に接近しており、中ソ対立最中の1969年にニコラエ・チャウシェスク国家評議会議長が中国を訪問、1978年には華国鋒がルーマニアを訪問するなど、中国とも一定の外交関係を有していた。 朝鮮民主主義人民共和国(地図上では「黒」に分類) 金日成統治下の北朝鮮は、中ソ双方と等距離の友好外交を行った。 ベトナム社会主義共和国(地図上では「赤」に分類) ベトナム戦争では、ホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)が、ソ連と中国の両国から双方から援助を受けた。しかし、ベトナム戦争が終結し、1976年に南北ベトナムが統一されると(ベトナム社会主義共和国の成立)、1979年のカンボジア侵攻と中越戦争で中国と敵対し、それ以降も中国との領土紛争が起こって敵対する一方、ソ連との友好は維持された。ソ連崩壊後の現在でも、ベトナムと中国は南シナ海の領有権問題で対立している。 カンボジア(地図上では「黄色」に分類) ポル・ポト政権(民主カンボジア)は親中。ヘン・サムリン政権(カンプチア人民共和国)は親ソ。 キューバ(地図上では「赤」に分類) アメリカとの対立によりソ連に接近。中国とは友好も敵対もせず。しかし、1966年に「カストロ首相、中共を激しく非難」という記事が毎日新聞に大きく掲載されていることなどから、やはり当時はキューバもソ連に与しており、中国との関係は悪かったようである。 その他
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