東京都知事選への立候補
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:41 UTC 版)
詳細は「2007年東京都知事選挙」を参照 浅野は2007年(平成19年)4月8日に予定された東京都知事選への民主党から出馬を要請され、当初は「そのような意思はない」として固辞していた。しかし、法政大学教授・五十嵐敬喜らによる支援団体、「浅野史郎さんのハートに火をつける会」(浅野の決意後は「都民のハートに火をつける会」に改称)の設立などの動きを受け、同年2月28日には、「真剣に考えていきたい」の意向を表明するに到った。同3月2日には、テレビ番組『みのもんたの朝ズバッ!』(TBSテレビ)で、「覚悟を決めなくちゃいけないだろうなという気はもうかなり強くしている」と発言、同6日に東京都庁舎で記者会見し、立候補することを表明した。同会見では、「石原都政の継承」とし、石原都政の内容については賛同しつつも、その手法について批判するという姿勢をとった(なお、他の道府県知事経験者の都知事選挙立候補の例としては1963年の阪本勝(兵庫)、2011年の東国原英夫(宮崎)、2012年の松沢成文(神奈川)、2014年の細川護熙(熊本)、2016年の増田寛也(岩手)の例があるが、いずれも落選した)。 浅野はかつて宮城県知事選で奏功した、政党の推薦を受けつけない「勝手連」方式での選挙戦を予定したが、最終的には独自候補の擁立を断念した民主党と社民党の支援、東京・生活者ネットワーク、市民の党、新社会党などの支持を受けることとなった。3月18日の台東区長選挙では、浅野が民主党推薦候補の応援に出向いたり(候補は落選)、菅直人や渡部恒三、福島瑞穂、山口文江などが浅野の応援を行うなどした。また、共産党にも出馬辞退と支援を求めたが、「政策が石原と変わらない」「宮城県政への反省がない」と批判され拒絶されている。 「勝手連」としては、「アサノと勝とう!女性勝手連」(呼びかけ人:石坂啓、上野千鶴子、中山千夏、三井マリ子、森まゆみ、若桑みどり)などが組織された。選挙戦の後半では、民主党などの支援を前面に出して戦ったものの、民主党の支持層を完全に固められなかったばかりか、無党派層への浸透も伸び悩んだ。投票の結果、得票は169万3323票と次点ではあったが、当選した石原慎太郎には100万票以上の差をつけられ、3位以下の得票と合わせても石原の得票を上回れないという結果に終わった。 落選後の5月12日、特定非営利活動法人キューオーエルが主催した講演会で都知事選を振り返った浅野は、「都民はマニフェストを読まないことが分かった」「都民にとって都政は関係ない」「格好良いか良くないかという個人の人気がほぼすべてとおもっている都民が多い」と、有権者を批判する敗因を述べた。落選直後には、休講としていた慶應義塾大学での講義を再開したが、再開初日の講義は盛況であり、学生らには拍手で迎えられた。
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