東京都知事出馬と撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:07 UTC 版)
「アントニオ猪木」の記事における「東京都知事出馬と撤退」の解説
1991年東京都知事選挙に、かつてNHKのニュースキャスターだった磯村尚徳が出馬を表明した後に出馬を表明したが、マスコミから「なぜ出馬したのか?」と聞かれた際、猪木は「彼(磯村)には、かつて『ニュースセンター9時』でアリとの試合を茶番扱いされたので」と答えた。 その後スポンサー佐川急便の佐川清会長、総理大臣及び自民党総裁経験者で清和研創始者の福田赳夫や、その愛弟子の森喜朗及び三塚博に説得され、出馬を断念し磯村と政策協定を結んだ。出馬断念に至る裏には、数千万円の現金が動いたとの証言があり、東京スポーツの激闘の永田町にスクープを書いた菊池久を、名誉毀損と約300万円の損害賠償を求めて民事提訴し、マスコミを賑わせたが、判決は領収書の所在が不明との判断で金銭授受を否定して菊池側の敗訴となった。 地裁判決には、猪木と新間寿も出廷していたが、判決後には猪木が菊池久に対して『もう少しうまく話し合いが出来ればねえ』と余裕の表情で語っていた。 なお、猪木の出馬撤回に触発され内田裕也が出馬している。
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