本社建物は旧大西洋銀行本部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:06 UTC 版)
「ダノン」の記事における「本社建物は旧大西洋銀行本部」の解説
ダノン本社建物は大西洋銀行(Banque Transatlantique)本部であったビルである。2000年、大西洋銀行が写真の建物から転居した。ここへダノンが入居するのは2002年である。大西洋銀行を創立したのはウジェーヌ(Eugène Péreire)である。彼は、ロスチャイルドのライバルであったペレール兄弟で弟の方(イザーク)の息子である。1909年にロスチャイルドと姻戚関係となった。 ジュール・グレヴィ大統領のとき、大西洋事業に対する政府の支援が打ち切られた。ペレール兄弟は大西洋総合会社(Compagnie Générale Transatlantique)を経営していたが、そこから政府が撤退したので、ウジェーヌは同社に対する持分を増やさなくてはならなかった。この資金を調達するため、オスマン債務管理局の設立年に大西洋銀行がつくられたのである。同行には親たちのクレディ・モビリエ同様に多くの株主がいた。クレディ・モビリエをミューチュアル・ファンドの原型とするなら、大西洋銀行も系譜であった。マンモスを志向したが大西洋間取引よりも地中海開発を当初は主軸に置いていた。将来的に大西洋へ進出するとして押さえるべき要衝が存在し、第二次モロッコ事件の年に大西洋銀行はモロッコ商業銀行(Banque Commerciale du Maroc)を設置した。 1933年、大西洋銀行がフランス外交官御用達のドズル銀行(Dosseur et Cie)を買収した。翌年、ベルギー総合会社がダイヤモンド顧問会議を招集する手助けをした。パリ万国博覧会 (1937年) のスポンサーにもなった。1941年、商工信用銀行が大西洋銀行の支配権を握った。これはナチス・ドイツによるフランス占領が行われるきっかけとなった。占領により大西洋銀行の資本関係が整理され、商工信用銀行の支配率が高まった。もはや大西洋銀行は商工信用銀行と競争する事業ができなくなった。代わりにまずホールセールを始めた。リテールは外人や外国滞在中のフランス人を相手に行った。オフショア市場の時代が到来して資本関係が変化した。1968年にモントリオール銀行が5%を獲得、1974年にクレディト・イタリアーノが商工信用銀行から20%を買収した。このような大西洋銀行がビッグバンでロンドンに代理事務所を設置した。1989年に世界中を飛び回る顧客を対象とした投資顧問会社をつくった(Helder Immobilier company)。「外交官の銀行」とあだ名されるだけの世界展開を今日まで営んでいる。
※この「本社建物は旧大西洋銀行本部」の解説は、「ダノン」の解説の一部です。
「本社建物は旧大西洋銀行本部」を含む「ダノン」の記事については、「ダノン」の概要を参照ください。
- 本社建物は旧大西洋銀行本部のページへのリンク