本局1430番への火災報知時代
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「119番」の記事における「本局1430番への火災報知時代」の解説
さて独自の警察電話網を構築していた警視庁だったが、少し遅れて逓信省の加入電話をひいた。1894年(明治27年)6月の電話交換加入者名簿によると警視庁の電話番号は4桁の「1430番」である。東京の電話の開通加入数が1,000を超えたのが明治25年度(1892年4月1日~1893年3月31日)の末ということから、警視庁は1893年(明治26年)頃に加入したものと推察される。 1896年(明治29年)11月、東京では加入者の急増により浪花町分局が設置されたため、電話番号の頭に「本局」または「浪花」を前置することになり、警視庁の電話は「1430番」から「本局1430番」に変わった。前述の東京郵便電信局の電報受付「119番」「319番」も、「本局119番」「本局319番」になった。すなわちシンプルな3桁番号「119番」はこのときに消滅した。 1899年(明治32年)9月4日付けの東京朝日新聞に、警鐘(火の見櫓の半鐘による火災の合図)が聞こえてくるたびに出火方面を電話局の交換手に尋ねる加入者があとを絶たず、電話局本来の交換業務に支障をきたすようになっており、交換手へのこの手の問い合わせは堅く謝絶するとの記事がみられる。 1900年(明治33年)4月7日、警視庁が部署ごとに加入電話番号を架設し、由緒ある「本局1430番」は警視庁消防署(1891年に警視庁消防本署より改称)が受け継いだ。日本初の消防署専用の加入電話番号「本局1430番」がここに誕生した。 当時の電話機には相手先の電話番号を指示するための回転盤(ダイヤル)はまだ付いておらず、まず自分が所属する電話局の交換手を呼出すことから始まる手動交換式である。そして所属局の交換手に相手方の電話番号を告げ、回線接続してもらっていた。電話番号をいわない『どこそこの誰々へ』はもちろんのこと、たとえ緊急時でも『警察』や『消防』と称する接続要求には応じないことになっており、警視庁消防署に電話するには交換手に『本局1430番』と告げる必要があった。 本局1430番への火災報知として、1905年(明治38年)5月2日に東京市牛込区の豆腐屋が「油揚げ」を揚げていた油に火が移ったが、たまたま隣家が子爵邸で電話加入者だったため、本局1430番(警視庁消防署)へ急報し、大事に至らずに消し止められた事例がある。これは「本局1430番」への出火報知を受けた警視庁消防署が、警察電話で消防第四分署(本郷区本富士町)へ出場指令したもので、加入電話と警察電話の連携によった。しかし1905年の東京市の人口197万人に対し、電話加入数(法人+個人)が1万4,440でしかないことから、電話による出火報知はまだ一般的ではなかったといえよう。
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